この記事では、(仮称)江戸川二十一ヶ所についてまとめます。
この二十一ヶ所は、江戸川八十八ヶ所のエリア内にある弘法大師二十一ヶ所霊場です。標識塔に刻まれた日付より、文化15年・文政元年(1818年)に(は)成立し(てい)たものとされます。なお、確認した標識塔や番号札などには、他の二十一ヶ所と区別できるような、「江戸川」とか「流山」などの固有名は書かれていません。
札所の並びですが、大まかには、1番東福寺から21番長福寺まで、時計回りの一筆書きになっています。(その場合、17番医王寺は、15番または16番の前に来た方が良いのだが。)
1番 東福寺
江戸川八十八ヶ所1番&21番&29番&44番&51番&88番&89番。標識塔の正面「第一番弘法大師廿一箇所東福寺」、左面「文政四辛巳歳三月廿一日建下總國葛飾郡鰭ヶ崎村」。
2番 正福寺
江戸川八十八ヶ所38番&74番。
現地では、二十一ヶ所の痕跡は見当たりませんでした。
3番 大勝院
江戸川八十八ヶ所9番&10番。標識塔の正面中央「弘法大師二十一箇所大勝院」、正面右「第三番」、左面「文政二卯年五月總州葛飾郡大谷口村遠矢山」。
4番 観音寺
江戸川八十八ヶ所64番&84番。標識塔の正面「弘法大師廿一ヶ所第四番木村觀音寺」、右面は「文政二己卯天三月二十一日豊谷山」。
5番 光明院
江戸川八十八ヶ所77番。標識塔の正面「廿一箇所第五番厄除弘法大師」、左面「元治二丑歳四月吉日」。(元治2年=1865年)
6番 旧正覚寺
江戸川八十八ヶ所14番&15番。御詠歌額には、「第六番」、「明治四拾壱年六月廿一日」とあります。(明治41年=1908年)
7番 旧西福寺
江戸川八十八ヶ所17番&60番。標識塔の正面「弘法大師第七番」、右面「文政元寅五月下花輪村西福寺」。現在は西栄寺(旧西円寺の地)にあります。こちらの大師堂番号札は、旧西福寺の地にあります。
8番 旧西円寺(現西栄寺)
江戸川八十八ヶ所22番。(旧西円寺分)
現地では、二十一ヶ所8番の痕跡は見当たりませんでした。
9番 大畔の天神社
江戸川八十八ヶ所8番&78番。
10番 旧神宮寺(三輪茂侶神社境内)
江戸川八十八ヶ所番外札所。(旧神宮寺分)標識塔の正面「第十番弘法大師廿一箇所神宮寺」、右面「文化六癸未年二月吉日」。(文化は文政の誤りと思われる。文化6年=己巳=1809年、文政6年=癸未=1823年)
11番 円東寺
江戸川八十八ヶ所47番&69番。西(右)側の白っぽくて大きな標識塔、正面「弘法大師圓東寺」、左面「二拾壹箇所之内第十一番」、右面「文政元戊寅龍集五月造立」。
12番 金乗院
江戸川八十八ヶ所49番。
13番 清滝院
江戸川八十八ヶ所35番。標識塔の正面中央「ヶ所清滝」、正面右「〓十三番」、右面「天三月吉日」。
14番 宝蔵院
江戸川八十八ヶ所54番&56番。標識塔の正面「弘法大師廿一ヶ所寳」、左面「第十四番」、右面「文政元戊寅年五月廿一日」。
15番 華厳寺
江戸川八十八ヶ所2番&5番。
江戸川八十八ヶ所天保期の34番か。標識塔の正面中央「弘法大師」、正面の右「廿一箇所之内第十五番」、右面「幸田邑花厳寺」、左面「文政元寅年五月」。
16番 旧円徳寺
江戸川八十八ヶ所16番&70番。標識塔の正面「弘法大師廿一箇所之内第十六番圓徳寺」、右面「文政二己卯年四月二十一日」。
17番 医王寺
江戸川八十八ヶ所76番。
18番 旧東栄寺
江戸川八十八ヶ所65番。標識塔の正面「弘法大師廿一箇所内…榮〓」、右面「文政元戊寅年五月二十一日」。
19番 真城院
江戸川八十八ヶ所12番&52番。
江戸川八十八ヶ所文政期の15番。
現地では、二十一ヶ所の痕跡は見当たりませんでした。
20番 旧薬師院
江戸川八十八ヶ所23番。標識塔の正面「弘法大師二十一箇所内第二十」、右面「文化十五戊寅年五月二」とあります。(なお文化15年は4月22日に文政に改元。)
21番 旧長福寺(今は愛染堂のみ)
江戸川八十八ヶ所72番&番外札所。
現地では、二十一ヶ所の痕跡は見当たりませんでした。
参考文献
- 小林茂多氏 : 下総のへんろ道〜地域信仰の歴史と霊場〜 手書き「ゼロックス本」 : 平成2年10月1日
- 小林茂多氏 : 下総のへんろ道 空海とともに歩む : 平成11年3月21日
なお、小林氏によれば、1番東福寺には標柱など無し、2番正福寺には文政四辛卯六月の標柱あり、17番医王寺には文政元寅五月二十一日の標柱あり、21番長福寺には文政元戊寅龍集五月の標柱あり、とある。
正福寺と旧長福寺(愛染堂)は近年になって境内を整理しています。医王寺には二十一ヶ所標識塔の複製(新品)がありました。