(令和4年7月7日その2)
江戸川八十八ヶ所巡拝、西平井(平和台)の大原神社(52番関連)の次は、思井桜山の23番大師堂に参ります。
思井の耳だれ地蔵(32番)に行った時と同様に、流山市の中交差点から、真南の旧道に進みます。そこからは、耳だれ地蔵への左折はしないで旧道をそのまま進んで、一時停止のある交差点のひとつ手前の交差点、ここを左折します。(一時停止まで進んで左折しても、大した違いは無いですが。) 次の突き当りを左折、北東方向への直線路を進みます。約0.35km先の、左側に丘が迫ってきて、その丘が遠ざかるころの、みやぞの野鳥の池入口バス停付近の交差点、ここも左折します。そこから約0.13km程すすんで、ここを恐る恐る右折すると、坂があります。この坂を上ると、右手に階段が現れます。この階段の先にスペースがあります。
思井桜山の23番大師堂
江戸川八十八ヶ所23番。
江戸川二十一ヶ所20番。
階段の左に江戸川二十一ヶ所20番標識塔、階段の右に23番標識塔、スペースの先に大師堂が2棟あります。因みに、思井というのは大字(旧村名)で、桜山は小字になります。
江戸川二十一ヶ所20番標識塔
この標識塔の正面「弘法大師二十一箇所内第二十」、右面「文化十五戊寅年五月二」とあります。(文化15年=1818年、なおこの年4月22日に文政に改元。)
23番標識塔
こちらの標識塔、あやうく見落とすところでした。この標識塔の正面中央「新四國八十八ヶ所薬〓」、正面の右「第二十三番阿州薬王寺写」、左面「文政九丙戌年十一月」とあります。(文政9年=1826年) かつては、当地に薬師院があったようです。
大師堂2棟
墓地の桶
現在では、当地は桜山共同墓地というようです。
なお、諸資料では、当地を思井桜山の観音堂としています。実際に観音堂、あるいは薬師堂があるかどうかは確認できませんでした。
最後に、みやぞの野鳥の池入口バス停付近の交差点まで戻って、墓地の方を見てみます。
次回は、芝崎の旧円徳寺(16番&70番)
次回は、芝崎の旧円徳寺(16番&70番)に参ります。みやぞの野鳥の池入口バス停付近の交差点から、左(北東)に進みます。