江戸川八十八ヶ所巡拝 豊四季の四号稲荷神社(26番)&小島大師(51番)跡

(令和4年7月7日その8)
江戸川八十八ヶ所巡拝、駒木の諏訪神社&豊四季の正満寺(24番)の次は、豊四季の四号稲荷神社(26番)、続けて、小島大師(51番)跡に参ります。
正満寺前の千葉県道278号線を左(東)に進み、豊四季駅入口交差点は直進し、その次の交差点を右折、東武野田線の踏切を越えたら左の脇道に入り、日光東往還に出たら左折します。しばらく日光東往還を進み、左に柏第二小学校があった後、

柏市新富近隣センター前
柏市新富近隣センター前
右に柏市新富近隣センターがあって、その先(隣)に四号稲荷神社があります。

豊四季の四号稲荷神社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
江戸川八十八ヶ所26番。

四号稲荷神社
四号稲荷神社
鳥居の先、参道真直ぐに拝殿、鳥居の左に公爵岩倉報恩碑、鳥居の右に豊四季開拓百年記念碑、参道途中右に大師堂、拝殿の右に稲荷神社の由来の碑があります。

公爵岩倉報恩碑

公爵岩倉報恩碑
公爵岩倉報恩碑
この碑だけでは、仔細不明ですね。

豊四季開拓百年記念碑

豊四季開拓百年記念碑
豊四季開拓百年記念碑
この写真だけは圧縮しない(文字を潰さない)方法ないかな。小金牧・佐倉牧の東京窮民による開拓事情が詳しく記されています。

26番大師堂

26番大師堂
26番大師堂
26番番号札
26番番号札

拝殿

四号稲荷神社拝殿
四号稲荷神社拝殿

稲荷神社の由来の碑

稲荷神社の由来の碑
稲荷神社の由来の碑
これに拠れば、旧豊四季村は、江戸時代には、小金牧のうちの上野牧(かみのまき)と呼ばれ、稲荷神社から日光東往還を挟んだ東側に、野馬を捕える捕込(とりごめ)が置かれた。明治2年、明治新政府と東京府は小金牧の開墾を決め、この地は4番目の開墾地として豊四季と命名され、11月17日に東京からの第一陣が入った。明治初期、捕込から西側一帯は、岩倉具視の所有地になっていた。明治26年9月29日、住民らが四号稲荷神社の創建を決定した。ご祭神は、豊川稲荷の吒枳尼真天(だきにしんてん)。
日光東往還稲荷神社前交差点
日光東往還稲荷神社前交差点
それでは、小島大師跡に参ります。稲荷神社の南東角の、稲荷神社前交差点から日光東往還を南に進みます。約0.7kmで右手に小島コーポが現れます。
豊四季の小島コーポ
豊四季の小島コーポ

小島大師(51番)跡

小島コーポの南東の一角が、小島大師の跡らしいです。

小島大師跡
小島大師跡
次の外部サイトに、往年の小島大師の写真があります。
smallbicycletravel.seesaa.net
なお、現在の51番札所は鰭ヶ崎の東福寺(1番&21番&29番&44番&51番&88番&89番)であるとの情報もあります。
この小島大師跡のすぐ近く、南西方向に、小金牧の野馬土手があります。

豊四季の野馬土手

豊四季の野馬土手北端
豊四季の野馬土手北端
この緑の所になります。
南柏・松ヶ丘特別緑地保全地区
南柏・松ヶ丘特別緑地保全地区
南柏・松ヶ丘特別緑地保全地区看板
南柏・松ヶ丘特別緑地保全地区看板
松ヶ丘野馬土手説明板
松ヶ丘野馬土手説明板
松ヶ丘野馬土手の通路
松ヶ丘野馬土手の通路
豊四季の野馬土手内部1
豊四季の野馬土手内部1
豊四季の野馬土手内部2
豊四季の野馬土手内部2
カメラの電池が切れました。帰宅します。

帰宅

本日は、旧流山町{旧西平井村}、旧八木村{旧思井村、旧芝崎村、旧古間木村、旧野々下村}、旧豊四季村の、江戸川八十八ヶ所10ヶ所、札所跡など2ヶ所に参りました。