江戸川八十八ヶ所の札所情報と、江戸川八十八ヶ所霊場巡拝道順略図について

江戸川八十八ヶ所についての雑多な小ネタです。
江戸川八十八ヶ所の札所巡り、現存している札所は全て参りました。参っていないのは、以下になります。

  • 7番 常円坊(浄円坊)。現存せず。初代流山橋の流山側そばにあったらしい。札所は流山の光明院(77番)に移された。
  • 11番 出世大師。現存せず。北小金駅と旧水戸街道の間にあったらしい。
  • 40番 吉岡大師。現存せず。隣の札所は三輪野山の旧神宮寺(番外)市野谷の円東寺(47番&69番)
  • 61番 思井大師堂(61番)。去年までは残っていたようだ。
  • 67番 加村河岸。現存せず。加村(流山市加)の江戸川河岸にあったらしい。
  • 1番奥院 加村の善照院。現存せず。流山一丁目交差点の東側、加村大坂を登った左手にあったようだ。



さて、図書館の次の本、
小林茂多氏 : 下総のへんろ道〜地域信仰の歴史と霊場〜 手書き「ゼロックス本」 : 平成2年10月1日
これに、江戸川八十八ヶ所の札所が列挙されていました。いくつか興味深い情報を挙げてみます。

  • 6番 横堀公会堂 三郷市横堀
  • 20番 御嶽神社 三郷市大膳新和4丁目

横堀公会堂って、横堀公民館だとすれば、これは御嶽神社の隣になります。ですが、住所の表記が異なるので、隣ではないのかも。

  • 8番 天満宮 流山市大畔
  • 78番 流山警察署前山林 流山市大畔新田

現在の78番は大畔の天神社(天満宮)にありますが、この時点では別のところにあったようです。

  • 13番 稲荷神社 松戸市大谷口新田
  • 43番 稲荷社(浅間神社) 松戸市大谷口新田

現在の13番と43番は共に、大谷口新田(新松戸)の稲荷神社にあるとされていますが、上記の稲荷神社、稲荷社、浅間神社との関係はよくわかりません。

観音堂という表記をしていません。

  • 28番 旧、豊四季観音堂(正満寺に改祀) 柏市豊四季

現在、富士見町ふるさと会館にある豊四季観音堂は、正満寺から再移転したのでしょうか。

富士見公園という表記をしていませんし、真城院にあるとも書いていません。

山王神社という表記をしていません。

  • 67番 加村河岸千歳堂 流山市加


江戸川八十八ヶ所霊場巡拝道順略図

この度の巡拝に際して、非常に役に立ったのが、こちらの外部サイト
www.chinjuh.mydns.jp
で紹介されている、江戸川八十八ヶ所霊場巡拝道順略図( 三日月神社25番大師堂所蔵、以下、三日月神社版と記す )です。
全札所巡拝後に、図書館にて、この図の後継版らしきものを発見したので、ここに情報を記します。
小林茂多氏 : 下総のへんろ道〜地域信仰の歴史と霊場〜 手書き「ゼロックス本」 : 平成2年10月1日
前述したこの本のpp185-186に記載( 以下、小林版と記す )。
流山市立博物館編集 : 流山市史 民俗編 : 平成2年3月31日
この本のp150に記載( 以下、流山市史版と記す )。
最初に断っておくと、図書館でコピーしたためかもしれませんが、小林版、流山市史版ともに少々文字が潰れています。そのうえで三者を比較します。
まず、三日月神社版を基準にして小林版の変更箇所を観ると、

  • 常磐線新松戸駅が追記。(新松戸駅開業は1973年4月1日)
  • 流山鉄道線幸谷駅が追記。(幸谷駅開業は1961年2月3日)
  • 流山鉄道線おほやぐち駅に「(小金城址)」と追記。(小金城址駅開業は1953年12月24日)
  • 流山鉄道線あかぎ駅に「(平和台)」と追記。(平和台駅への改称は1974年10月1日)
  • 14番&15番正覚寺に追記あり。
  • 33番奥院こうじゆ寺に「(広寿寺)」と追記。
  • 44番六社権現に「(雷神社)」と追記。
  • 52番富士見公園から「富士見公園」の表記が消滅。
  • 85番茂田井(モタヰ)から「(モタヰ)」の表記が消滅。
  • 71番主水稲荷社の西側の点線が消滅。
  • 流山鉄道線ひれがさき駅付近の「第一日うちはじめ」から「じめ」の表記が消滅。

次に、小林版を基準にして流山市史版の変更箇所を観ると、

  • 常磐線の左端に「上野へ」と追記。
  • 1番奥院加村善照院に「(廃寺)」と追記。
  • 7番常円坊から77番光明院に向かって矢印線と「移」の追記あり。
  • 19番庄内ヤに追記あり。
  • 22番桐ヶ谷西円寺に「(17)+(22)=西栄寺」と追記。(本当は括弧囲いではなくて〇数字)
  • 52番に「富士見公園(大原神社)」と追記。
  • 71番主水稲荷社の西側に点線が追記(復活?)。

となっています。
鉄道駅を基準に考えると、三日月神社版は1953年末以前のもの、小林版と流山市史版はともに1974年秋以降のものとなります。小林版と流山市史版の相違の理由、どちらが古いのかはよくわかりません。
また、流山橋( 1965年2月12日に架け替え移転 )や大膳の渡しについては変更が加えられていませんし、武蔵野線も追記されてはいません。それから、大師御宿柳屋旅館についてですが、こちらの外部サイト
www.yanagiya-nagareyama.com
によれば、流山の柳屋さんは、昭和15年頃に、それまでの旅館と料理屋の兼業から、料理屋一本に切り替えたとあります。しかし、小林版と流山市史版においても、大師御宿柳屋旅館の記述は残ったままです。