(令和4年5月28日その8)
江戸川八十八ヶ所巡拝、上新宿の八坂神社(41番)&金刀比羅神社の次は、桐ヶ谷の西栄寺(22番)に参ります。
八坂神社から南に進んで、常磐自動車道の北側、金刀比羅神社すぐの十字路を右(南西)に折れ、千葉県道47号線を突っ切ってから、常磐道の南側に道なりで進みます。そのまま南に進むと、千葉県道5号線新道に出る前に、左手に西栄寺が現れます。
西栄寺
真言宗豊山派、西栄寺、流山市桐ケ谷230番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
江戸川八十八ヶ所22番。(旧西円寺分)
江戸川二十一ヶ所8番説あり。(旧西円寺分)
山号は桐谷山、院号は無量寿院。
なお、西栄寺は、当地にあった西円寺が、下花輪にあった西福寺と合併して成立した寺です。こちらは、境内の西側、千葉県道5号線からの撮影です。参道の先に山門があり、その先は境内ですが、山門の右にも出入口があります。その出入口の左に文化財の説明板、出入口入ってすぐ右に小さな説明板と西榮寺合寺落慶記念碑があります。
山門
文化財説明板
これに拠れば、西栄寺には流山市指定文化財が3件あります。
- 旧西福寺の琵琶首観音堂にあった観音菩薩立像。天文8年(1539年)製。
- 旧西円寺の本尊であった阿弥陀如来坐像。
- 絹本著色釈迦十六善神像 附 外箱及び版本大般若経。絹本は宝暦7年(1757年)製。
説明板
これに拠れば、本尊は無量寿如来。
西榮寺合寺落慶記念碑
背面の碑文、前半はピンぼけでよくわかりませんが、桐谷山西円寺と琵琶山西福寺が合併してできた西栄寺の落慶は昭和31年(1956年)11月25日の事だそうです。
境内
境内は、山門からの参道真直ぐに本堂、本堂の右に修行大師像、本堂の左に観音堂、観音堂の左に大師堂、大師堂の左に江戸川二十一ヶ所7番標識塔があります。
本堂
観音堂
扁額には「琵琶山」、右手の縦板には琵琶首観世音菩薩とあり、元は下花輪にあった琵琶首観音を移したものです。
修行大師像
22番大師堂
御詠歌額には「西圓寺」とあります。
江戸川二十一ヶ所7番標識塔
この標識塔の正面「弘法大師第七番」、右面「文政元寅五月下花輪村西福寺」とあります。(文政元年=1818年) 元は西福寺にあったものです。
帰宅
今日は、G3葵ステークスを観るため、早目に帰宅します。本日は、旧流山町{旧流山村}、旧新川村{旧下花輪村、旧上貝塚村、旧南村、旧北村、旧上新宿村、旧桐ヶ谷村}の、江戸川八十八ヶ所13ヶ所、下総三十三観音1ヶ所に参りました。
更新履歴
2022年6月27日18時30分、初版公開
2022年7月17日14時15分頃、「江戸川八十八ヶ所34番。(旧西円寺分)」→「江戸川八十八ヶ所22番。(旧西円寺分)」