(令和6年6月19日その5)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、本佐倉の吉祥寺(23番)の次は、本佐倉の光徳院(40番)、さらに、上本佐倉の19番大師堂(かけ番候補)に参ります。但し、光徳院には本佐倉光徳院跡の標柱と40番大師堂があるだけです。
吉祥寺の石柱門の外から左(東)を見ると、山門の向こうに小さな丘がありますが、その丘の反対(東)側の麓が光徳院跡になります。そのまま山門横も通過して、丘の麓の突き当たり交差点、ここから丘は登らず、新道を左折します。この新道は、国史跡本佐倉城跡の南側駐車場・バス転換場に至る道です。その途中、右に入って、例の丘の裾を時計回りで進もうと思ったのですが、この、本佐倉城跡根古谷の館、酒々井町消防団第5分団倉庫のところ、入って良いのか、入ったとして突っ切れるのか不明だったので、戻ります。先ほどの新道から、本佐倉城跡南側に出て右(東)へ、少し進んで、前方に酒々井町酒々井の台地下の住宅地が見えるところで、右折(南行)し、すぐの丁字路、左折すれば酒々井の住宅地ですが、直進し、南側の丘にぶつかって左へ、丘の裾を時計回りに進みます。その道も終わりが近づくころ、道の右、丘の側に小さな段々畑のようなところがあって、その奥が光徳院跡になります。とりあえず道を進んで、段々畑の南端付近にて、水路の蓋に合わせて斜め右へ、ほんとにすぐのところ、水路から外れて右へ、そこからは自動車の轍の上を通ります。しかし、轍も減って、これで良かったのか迷いますが、すぐ先一段高いところに標柱が見えました。一段上ります。
本佐倉の光徳院跡
2024年10月19日追記ここから
現地で見る限りは廃寺に見えたのですが、宗教法人名簿に記載があることを確認しました。
曹洞宗、光徳院、印旛郡酒々井町本佐倉956番地の1。(千葉県の宗教法人名簿より)
2024年10月19日追記ここまで
六崎組十善講八十八ヶ所40番。標柱の奥に40番大師堂、それだけです。こういうタイプの標柱があると言うことは、ここまでは来ても良いはず。ただ、ルートがこれで良かったかは判りません。
40番大師堂
それでは、反転して、次へ参ります。来た轍を戻って、水路の蓋のところで、右に入って、水路に沿って坂を上ります。坂上にて、倒竹が道を塞いでいましたが、ここを越えると、どこかの住宅地に出ました。そのまま進んでの突き当たり丁字路、この写真の右手前から来て、右折して、すぐの丁字路を左折します。この道は旧街道だそうで、またすぐの交差点で、旧街道は右(西)に折れます。と、この交差点、南西角に大師堂がありました。
上本佐倉の19番大師堂
六崎組十善講八十八ヶ所かけ番候補。御詠歌額は「いつかさて にしのすまゐの わがたちい ぐせいのふねに のりていたらむ」、19番御詠歌ですが、立江寺の「たつえ」ではなく、「たちい」となってます。
次回は、上本佐倉の清光寺(70番)
次回は、上本佐倉の清光寺に参ります。旧街道を西に進みます。
更新履歴
2024年07月24日18時30分、初版公開
2024年10月19日16時20分頃、光徳院の宗教法人名簿情報などを追記。「光徳院は廃寺でして、標柱と」→「光徳院には本佐倉光徳院跡の標柱と」