印西市東部(旧六合村・旧本郷村)の六阿弥陀について

印西大師の札所を廻ることで、印西市の東部にある六阿弥陀についても、ある程度判ってきました。
六阿弥陀というのは、オリジナルは江戸の六阿弥陀で、1番から6番までの他に、木余、木残を加えた8ヶ所を廻るものです。当地の六阿弥陀は江戸の写しです。

旧六合村分

先ずは、旧六合村にある六阿弥陀について。六合村は、明治22年(1889年)に6ヶ村(瀬戸・山田・平賀・吉高・萩原・松虫)が合併して成立、昭和30年(1955年)に印旛村に移行しています。

萩原の慶昌寺

曹洞宗、慶昌寺、印西市萩原1242番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師57番。
六阿弥陀の何番か。

六阿弥陀標識塔

萩原慶昌寺六阿弥陀標識塔
萩原慶昌寺六阿弥陀標識塔
標識塔正面の中央「六阿弥陀如来」、右上「番」、左右中部「嘉永四 八月廿六日」とあります。最上部が欠けていて、何番かは不明です。

吉高の迎福寺

曹洞宗、迎福寺、印西市吉高549番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師53番。
六阿弥陀2番。

六阿弥陀2番標識塔

六阿弥陀2番標識塔
六阿弥陀2番標識塔
標識塔正面の中央「六阿弥陀如来」、その右上「二番」、その右「嘉永四年」とあります。

山田の西定寺

天台宗、西定寺、印西市山田2635番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師62番。
六阿弥陀3番。

六阿弥陀3番標識塔

六阿弥陀3番標識塔正面六阿弥陀3番標識塔右面背面
六阿弥陀3番標識塔
標識塔の正面中央「六阿弥陀如来」、その右上「第三番」、右面「昭和七年九月〓〓」とあります。

本堂の六阿弥陀御詠歌額

六阿弥陀3番御詠歌額
六阿弥陀3番御詠歌額

瀬戸の願定院

天台宗、願定院、印西市瀬戸972番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師24番。
六阿弥陀4番。

六阿弥陀4番標識塔

六阿弥陀4番標識塔全体
六阿弥陀4番標識塔全体
六阿弥陀4番標識塔正面左面六阿弥陀4番標識塔正面右面
六阿弥陀4番標識塔
標識塔の正面中央「六阿弥陀如来」、その右上「第四番」、左面「嘉永四年六月十日」、右面「昭和七年七月 改築人」とあります。

本堂の六阿弥陀御詠歌額

瀬戸願定院本堂六阿弥陀4番御詠歌額
瀬戸願定院本堂六阿弥陀4番御詠歌額

山田の円天寺

浄土宗、龍雲山 圓天寺 寒風院、印西市山田878-1。(浄土宗千葉教区のWebsiteより)
印西大師49番。
六阿弥陀5番。

六阿弥陀5番標識塔

山田円天寺六阿弥陀5番標識塔正面山田円天寺六阿弥陀5番標識塔正面右面
山田円天寺六阿弥陀5番標識塔
標識塔正面の中央「六阿弥陀如来」、右上「第五番」、右面「昭和七年九月二十日」とあります。

瀬戸の徳性院

真言宗豊山派、徳性院、印西市瀬戸2226番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師76番。
六阿弥陀6番。

本堂の六阿弥陀御詠歌額

六阿弥陀6番御詠歌額
六阿弥陀6番御詠歌額

六阿弥陀6番標識塔

六阿弥陀6番標識塔正面六阿弥陀6番標識塔正面右面
六阿弥陀6番標識塔
標識塔の正面の中央「六阿弥陀如来」、その右上「第六番」、右面「昭和七年九月二十〓日」とあります。

松虫の松虫寺

真言宗豊山派、松虫寺、印西市松虫7番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師75番。
六阿弥陀木余。

六阿弥陀標識塔

印西市松虫寺六阿弥陀標識塔
印西市松虫寺六阿弥陀標識塔
標識塔の正面中央「六阿弥陀如来」、その右上「木餘」、右面「昭和七年九月廿日」とあります。(昭和7年=1932年)

旧本郷村分

そして、六合村に隣接する旧本郷村で見つけた六阿弥陀です。本郷村は、明治22年成立、大正2年(1913年)に本埜村に移行しています。

笠神の南陽院

天台宗、南陽院、印西市笠神726番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師44番。
六阿弥陀の何番か。

門前の石塔

笠神南陽院門前の石塔
笠神南陽院門前の石塔
読めぬ、あ、苔のある部分が「弥」に読めて、「六阿弥陀如来」とありそうです。右に「番」も見えました。

中根の福聚院

天台宗、福聚院、印西市中根1378番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師14番。
六阿弥陀5番。

六阿弥陀5番標識塔

中根福聚院六阿弥陀5番標識塔
中根福聚院六阿弥陀5番標識塔
標識塔正面の中央「六阿弥陀如来」、その右「五番〓〓四〓」(〓〓四〓は嘉永四年?)、左「八月廿六日」とあります。

考察

全部で9ヶ所の六阿弥陀を発見した。
標識塔に記された年は、嘉永4年とあるのが3基、昭和7年とあるのが4基、嘉永4年と昭和7年の両方を記すのが1基、不明が1基。おそらく、嘉永4年に設定後、昭和7年にまとめて補修されたか何かがあった。(嘉永4年=1851年、昭和7年=1932年)
番数不明が2基、2番・3番・4番・6番・木余が1基ずつ、5番が2基。5番が2基あるのは、そもそも別の六阿弥陀を筆者が一緒くたにしてしまったのか、移転したけれども旧所在地にも残ってしまったのか、5番が本当に2ヶ所あるのか、それとも別の理由なのか。