印西大師・印西地区の大師堂巡拝 瀬戸の徳性院(76番)

(令和5年6月17日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、山田の西定寺(62番)の次は、瀬戸の徳性院(76番)に参ります。
既に徳性院の前に来ています。

瀬戸徳性院前(再掲)
瀬戸徳性院前(再掲)

瀬戸の徳性院

真言宗豊山派、徳性院、印西市瀬戸2226番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師76番。
六阿弥陀6番。

瀬戸徳性院参道
瀬戸徳性院参道
参道入口の左に案内板、参道の左に石塔石仏群、参道を真っ直ぐ進んで山門、その先真っ直ぐに本堂、本堂の左手に観音堂、本堂の右前に六阿弥陀6番標識塔があり、大師堂はちょうど山門の右側になります。

案内板

瀬戸徳性院案内板
瀬戸徳性院案内板
これに拠れば、山号は合集山、寺号は多門寺、本尊は十一面観世音菩薩で秘仏。寺号説明の「門」の字は、「聞」の字の「耳」が薄くなっています。「耳」を消したのか、「耳」を追記したのかは、不明です。

門前石塔石仏群

瀬戸徳性院門前石塔石仏群
瀬戸徳性院門前石塔石仏群
瀬戸徳性院門前石塔石仏群左側
瀬戸徳性院門前石塔石仏群左側
この写真の左から二番目の石塔は「二十六夜〓染明王」とあって、「〓」は「愛」の異字体らしいのですが、どうでしょうか。
瀬戸徳性院門前石塔石仏群中程
瀬戸徳性院門前石塔石仏群中程
この写真の左端、ひとつ上の写真の右端の石仏は「文政十丁亥年十一月」とあります。(文政10年=1827年)
瀬戸徳性院門前石塔石仏群右側
瀬戸徳性院門前石塔石仏群右側
子安観音像は近年も造立されているようです。

山門

瀬戸徳性院山門
瀬戸徳性院山門

本堂

瀬戸徳性院本堂
瀬戸徳性院本堂
瀬戸徳性院本堂扁額
瀬戸徳性院本堂扁額
院号を記した扁額の他に、六阿弥陀の御詠歌額も掲げられています。
六阿弥陀6番御詠歌額
六阿弥陀6番御詠歌額

六阿弥陀6番標識塔

六阿弥陀6番標識塔正面六阿弥陀6番標識塔正面右面
六阿弥陀6番標識塔
標識塔の正面の中央「六阿弥陀如来」、その右上「第六番」、右面「昭和七年九月二十〓日」とあります。(昭和7年=1932年)
こうしてみると、本堂(らしき位置と大きさのお堂)に阿弥陀如来が祀られているように見えます。

観音堂

瀬戸徳性院観音堂
瀬戸徳性院観音堂

客殿庫裡落慶記念碑

本堂の右に、客殿庫裡落慶記念碑があります。

瀬戸徳性院客殿庫裡落慶記念碑正面瀬戸徳性院客殿庫裡落慶記念碑背面
瀬戸徳性院客殿庫裡落慶記念碑
これに拠れば、寺号は多聞寺、昭和初期に全焼、その後、本堂、観音堂、山門を建立し、さらに千葉ニュータウン整備開発のために山林を売却し、それによって客殿と庫裡を建立したという。
門前の案内板にあった寺号とは同音ですが異なっています。

76番大師堂

76番大師堂
76番大師堂
印西大師76番番号札
印西大師76番番号札
76番御詠歌額
76番御詠歌額

弘法大師一千三十七回忌供養塔

76番大師堂の左に、弘法大師一千三十七回忌の供養塔があります。

弘法大師一千三十七回忌供養塔正面右面弘法大師一千三十七回忌供養塔背面
弘法大師一千三十七回忌供養塔
供養塔の正面「弘法大師一千三十七回忌」、右面「明治四辛未年三月二十一日」、その下に「南陽院孝譲 廣福寺果觀 來福寺宥岳 德性院硯惠」、背面の下部は逆光で見辛いのですが「臼井臺町 大澤山實藏院快隆資 師戸村西谷〓氏〓 發願主法印頂憲 弟子船尾村〓〓氏〓 大宝」とあります。(明治4年=1871年=空海1037回忌の年) 右面下部の4寺は印西大師の札所ですが、背面の実蔵院は印旛沼の向こうの臼井にある千葉寺十善講59番札所です。願主の方は、印西大師のテリトリーである師戸と船尾の出身ですが、ここ瀬戸の出身ではありません。
さて、山門を出て道に戻り、数歩だけ左に戻ると、
瀬戸徳性院門前からの西印旛沼
瀬戸徳性院門前からの西印旛沼
西印旛沼が望めます。

次回は、瀬戸の宗像神社に寄り道

次回は、瀬戸の願定院(24番)を目指して、途中の宗像神社に寄り道します。徳性院の門前の道を右(北)に、西印旛沼を左に見ながら進みます。