印西新四国霊場(印西大師) マップ

印西新四国霊場(印西大師)を、Googleマイマップにまとめたので、公開します。(マイマップ公開第五弾です。)

印西大師 概略

印西大師というのは、いわゆる地四国[Wikipedia]のひとつです。印旛沼の西、すなわち印西の地にある地四国なので、印西大師といいます。旧郡でいうと、印旛郡の北西部になります。

その歴史ですが、まず享保6年(1721年)、南陽院(44番)の臨唱法印が、本家四国八十八ヶ所の御砂を持ち帰り、泉倉寺(1番)の演順貫主、来福寺(66番)の頼如法印、広福寺(33番)の宥伝法印と協力して、写し霊場を開いたと伝わっています。

その後一時衰退するも、天保元年(1830年)、南陽院の孝祐法印が再興し、今に至るようです。

現在の印西大師では、1番から88番までの大師堂に、岡本さんという方が施主となって白い番号札を付けてあるので、判りやすいです。一方で、番外札所も多数存在しています。

印西大師 札所分布

現在の印西大師の札所分布は、

  1. 印西市全域。
  2. 白井市全域。

となっています。これはまた、次のようにも表現できます。

  • 旧印番郡内、つまり、利根川・将監川の南、(干拓前の)手賀沼の東・南、二重川・神崎川の北。
  • 且つ、(干拓前の)印旛沼の西。

なお、手賀沼の北(我孫子市)には「相馬大師」、手賀沼の西(柏市)から南(鎌ヶ谷市・白井市)には「東葛印旛大師」、二重川沿いから南(白井市・船橋市・八千代市)には「吉橋組大師」、印旛沼の南(八千代市・佐倉市)には「千葉寺十善講」が、札所を構えています。これらについては、白井市の延命寺が東葛印旛大師と印西大師の両方の番付札所になっており、また、東葛印旛大師や吉橋組大師の番付札所の一部が、印西大師の番外札所になっているようですが、おおむね、札所の棲み分けができています。なお、それ以外の方角については、調査していません。

各札所は、本家の四国八十八ヶ所では番号順に並んでいるのに対して、印西大師ではバラバラです。

マイマップ作成方針

印西大師には番外札所が多数存在しますが、現在有効な番外札所についてのオフィシャルな資料が見つからなかったため、このエリアで見つけた大師堂を片っ端から掲載する事にしました。

但し、東葛印旛大師と吉橋組大師の番付札所、及び白井市平塚地区の大師堂については、その限りではありません。

マイマップ作成の参考資料

今回のマイマップ作成に際しての、参考資料です。(敬称略)

  • 印西歴史愛好会・印西大師編集委員会「印西大師八十八か所 札所めぐりで郷土の歴史を楽しむ」2017
  • 印西町史編さん委員会「印西町史 民俗編」1996
  • 日本を巡礼する

    harusamebashi.wiki.fc2.com

  • 某サイト(URLは伏せます)、番外札所候補を調べる際に大変役に立ったのですが、今は新型コロナウイルス感染症に注力されている様です。