吉橋組大師講新四国八十八ヶ所(吉橋組大師) マップ

吉橋組大師講新四国八十八ヶ所(吉橋組大師)を、Googleマイマップにまとめたので、公開します。(マイマップ公開第二弾です。)

吉橋組大師 概略

吉橋組大師というのは、いわゆる地四国[Wikipedia]のひとつです。千葉郡吉橋村(現 八千代市吉橋)の人達や同村の貞福寺が主導して、参加する各地区が「講」を形成し、各地区内に設けられた札所を巡拝することから、いつしか吉橋組大師講と呼ばれるようになったものです。

吉橋組大師の前身は、文化4年(1807年)頃、貞福寺住職の存秀法印によって創められた「下総四郡大師」です。この下総四郡大師が文政5年(1822年)前後に分裂し、20番貞福寺を中心に、札所1番から27番まで(除く23番)と31番が残留して再構成されたのが、吉橋組大師です。(札所1番から22番までと、25番、26番は、両者で札所番号に変更なし。)

下総四郡大師の時は一つの寺院につき札所は一つでしたが、分裂してエリアが縮小した吉橋組大師では、一つの寺院につき札所を複数配したり、寺院とつながりの深い神社にも札所を設けたり、新規の神社、寺院、あるいは、小さなお堂にも、札所を設置することになりました。

その後も、札所の移動が幾つもあり、また、番号が重複する札所や、番外札所も設けられてきました。

その吉橋組大師ですが、「講」による団体巡拝は平成7年(1995年)に休止され、以後は、個人または少人数の有志グループによる巡拝のみとなっています。個々の札所は概ね良く保たれているようです。

吉橋組大師 札所分布

現在の吉橋組大師の札所分布は、

  1. 八千代市西部。八千代市の北から、国道16号線・東葉高速鉄道村上駅から勝田台駅・京成本線勝田台駅から八千代台駅までで区切っての、その西側。
  2. 習志野市西部。習志野市から、実籾や屋敷を除いた地域。
  3. 船橋市東部。海側から、海老川・県道8号線で鎌ヶ谷市に至るまでを区切っての、その東側。
  4. 鎌ヶ谷市のうち、船橋市にごく近いところに2ヶ所。
  5. 白井市のうち、船橋市にごく近いところの光明寺(札所は2ヶ所)。

となっています。

札所の設置場所は、水田耕作が可能な(かつての)農村か、あるいは旧街道沿いに多く差設置され、一方で、江戸時代には小金牧[Wikipedia]の下野牧だった所には札所は少なく、特に明治以降も軍用地だった所には札所はありません。

なお、八千代市東部と習志野市東部には、地四国のひとつ「千葉寺十善講」が札所を展開し、鎌ヶ谷市・白井市の他の地域には「東葛印旛大師」や「印西大師」が札所を設けています。白井市の光明寺が印西大師の番外札所になっている他は、すべて棲み分けができています。

各札所は、本家の四国八十八ヶ所では番号順に並んでいるのに対して、吉橋組大師では完全にバラバラです。

マイマップ作成の参考資料

今回のマイマップ作成に際しての、参考資料です。(敬称略)

  • 吉橋 清「新四国八十八ヶ所 吉橋霊場札所」1984
  • 八千代市史編さん委員会「八千代市の歴史 資料編 民俗」1993
  • 船橋市史編さん委員会「船橋市史 民俗・文化財編」2001
  • 八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦「吉橋大師開設200周年第2回市民企画展図録 新四國を歩く」2006
  • 平塚 胖「吉橋大師第32番札所 大教院について」史談八千代31号 2006 
  • 八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会「吉橋大師開設200周年記念フォーラム 吉橋大師の今と昔」2007年2月18日開催の資料
  • 菅野 貞男「吉橋村内の吉橋大師講札所について」史談八千代40号 2015 
  • 猫の足あと

    tesshow.jp

  • 津田沼街道を歩く

    上総海道10 http://tudanuma7.seesaa.net/article/392368362.html