准四国八十八ヶ所東葛印旛大師 マップ

准四国八十八ヶ所東葛印旛大師(東葛印旛大師)を、Googleマイマップにまとめたので、公開します。(マイマップ公開第三弾です。)

東葛印旛大師 概略

東葛印旛大師というのは、いわゆる地四国[Wikipedia]のひとつです。各札所が、旧東葛飾郡と旧印旛郡の2郡にまたがっていることから、この名があります。しかし、多くの札所が、南相馬郡( 明治30年(1897年)に東葛飾郡と合併 )に在った事や、有名な地四国「相馬大師」と区別する事などからか、南相馬大師と呼ばれたこともあります。ちなみに、東葛飾郡と南相馬郡は、明治11年(1878年)の成立です。

東葛印旛大師の前身は、文化4年(1807年)頃、千葉郡吉橋村(現 八千代市吉橋)の貞福寺住職の存秀法印によって創められた「下総四郡大師」です。この下総四郡大師が分裂し、札所66番から88番までの、本家の四国八十八ヶ所でいう讃岐国の札所を温存しつつ再構成されたのが、東葛印旛大師です。その成立は文政5年(1822年)のことで、これを主導した弘豊阿闍梨が住職を務めた長全寺が、1番札所になりました。

下総四郡大師の時は一つの寺院につき札所は一つでしたが、分裂してエリアが縮小した東葛印旛大師で、一つの寺院につき札所を複数配したり、寺院とつながりの深い神社にも札所を設けたり、新規の神社、寺院、あるいは、小さなお堂にも、札所を設置することになったのは、同時期に成立した「吉橋組大師」と同様です。

その後、幕府の禁令により活動が低迷した時期を経て、慶応2年(1866年)に、長全寺の住職瑞宝らによって復興します。それからも札所の移動、掛所(番外札所)の設置・変更などが行われました。

現在でも、団体での巡拝がゴールデンウイーク中に行われています。

東葛印旛大師 札所分布

現在の東葛印旛大師の札所分布は、

  1. 柏市南部。国道6号線の南東側。但し中新宿を除く。旧東葛飾郡と旧南相馬郡に所属。
  2. 白井市の北縁。柏市に近接した、南手賀沼・金山落沿いの地域。旧印旛郡。
  3. 鎌ヶ谷市の北半分。初富以北。旧東葛飾郡と旧印旛郡。
  4. 松戸市の東端。金ケ作以東。旧東葛飾郡。

となっています。

札所の設置場所は、水田耕作が可能な(かつての)農村に多く、江戸時代に小金牧[Wikipedia]だった所の札所は少なめです。

なお、手賀沼の北には「相馬大師」が、鎌ヶ谷市・白井市の他の地域には「吉橋組大師」や「印西大師」が、松戸市の北部には「江戸川八十八ヶ所」が札所を設けています。白井市の延命寺が印西大師の番付札所になるなどの一部例外はありますが、基本的には札所の棲み分けができています。

各札所は、本家の四国八十八ヶ所では番号順に並んでいるのに対して、東葛印旛大師では完全にバラバラです。

マイマップ作成の参考資料

今回のマイマップ作成に際しての、参考資料です。(敬称略)

  • 公式サイト

    sites.google.com

  • 鎌ヶ谷市郷土資料館「鎌ヶ谷市郷土資料館調査報告書Ⅰ 東葛印旛・大師講」1990
  • 八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会「吉橋大師開設200周年記念フォーラム 吉橋大師の今と昔」2007年2月18日開催の資料
  • 猫の足あと

    tesshow.jp

  • かまがや散歩

    kamagaya-sanpo.blogspot.com

  • 鎌ヶ谷市郷土資料館

    www.city.kamagaya.chiba.jp