千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 寄り道 青菅の稲荷神社

(令和6年3月27日その7)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、青菅の志津小学校青菅分校跡に寄り道の次は、青菅の稲荷神社に寄り道します。
青菅分校跡から西へ、すぐの十字路を左折して少し坂を上って、稲荷神社前まで来ました。

青菅稲荷神社前(再掲)
青菅稲荷神社前(再掲)

青菅の稲荷神社

稲荷神社、佐倉市青菅1番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

青菅稲荷神社
青菅稲荷神社
短い階段を上って鳥居、参道その先に社殿、社殿の右前の壁に改築記念碑、参道途中で右に折れて星神社、他にも境内社が点在しています。大師堂は見当たりません。

鳥居

青菅稲荷神社鳥居
青菅稲荷神社鳥居
青菅稲荷神社鳥居神額
青菅稲荷神社鳥居神額
神額は「青菅鎮守稲荷大神」。

手水鉢

青菅稲荷神社手水鉢正面
青菅稲荷神社手水鉢正面
青菅稲荷神社手水鉢右面
青菅稲荷神社手水鉢右面
手水鉢の正面中央「奉納」、その左右「天保十〓亥年 正月吉日」、右面「當村願主」で名字有りの男性名が並ぶ。(天保10己亥年=1839年)

社殿

青菅稲荷神社社殿
青菅稲荷神社社殿
青菅稲荷神社社殿神額
青菅稲荷神社社殿神額
神額は「稲荷社」かな。
青菅稲荷神社社殿前のお供え物
青菅稲荷神社社殿前のお供え物

改築記念碑

青菅稲荷神社改築記念碑
青菅稲荷神社改築記念碑
これに拠れば、稲荷社( 稲荷神社 )と妙見社は、江戸前期の領主( 地頭と表記 )川口摂津守の建立。明治41年(1908年)4月、字郷口112番地にあった妙見社を、当地( 字稲荷1番地 )に合祀。昭和25年(1950年)5月、官有地だった境内を無償払下。祖先共有地を売却したので昭和47年に新社殿を建立。

星神社

青菅稲荷神社境内社星神社
青菅稲荷神社境内社星神社
青菅稲荷神社境内社星神社神額
青菅稲荷神社境内社星神社神額
神額は「星神社」。
中には仏像っぽい像が安置されていました。おそらく、星神社は元妙見社、像は妙見菩薩像でしょう。
青菅稲荷神社境内社星神社手水鉢
青菅稲荷神社境内社星神社手水鉢
手水鉢には「天保七年 五月吉日」。

他の境内社

青菅稲荷神社境内社八坂明神
青菅稲荷神社境内社八坂明神
社殿左前角の横( 写真手前 )に八坂明神。
青菅稲荷神社境内社愛宕大権現と石祠
青菅稲荷神社境内社愛宕大権現と石祠
社殿左後方に愛宕大権現、その左に石祠群。
青菅稲荷神社境内社牛頭天王
青菅稲荷神社境内社牛頭天王
社殿右後方に牛頭天王。八坂明神と牛頭天王が並存しています。
それでは次の、井野の千手院(57番)を目指して移動します。参道階段を出て右(南)へ、右に青菅小学校を見ながら進むと、宮ノ台の団地に出ます。
佐倉市宮ノ台1丁目団地北の丁字路
佐倉市宮ノ台1丁目団地北の丁字路
この突き当たり丁字路は左折、道が右にカーブしてからの直線は、ユーカリが丘団地の環状道路に突き当たります。
佐倉市宮ノ台1丁目団地南の丁字路
佐倉市宮ノ台1丁目団地南の丁字路
この丁字路交差点を渡って右を向いて、
佐倉市宮ノ台3丁目北東の丁字路
佐倉市宮ノ台3丁目北東の丁字路
すぐ次の十字路を左折して、跨線橋でユーカリが丘線を渡ります。それから道なりに進んで、子ノ神公園北の丁字路、
佐倉市宮ノ台5丁目子ノ神公園北の丁字路
佐倉市宮ノ台5丁目子ノ神公園北の丁字路
ここで左折、左に調節池のある丁字路、
佐倉市井野会館北の丁字路
佐倉市井野会館北の丁字路
右折して少し坂を上ると、丁字路に出ますが、
佐倉市井野会館前丁字路
佐倉市井野会館前丁字路
この丁字路には、道標があります。

佐倉市井野会館前の道標

佐倉市井野会館前道標正面佐倉市井野会館前道標右面
佐倉市井野会館前道標正面右面
佐倉市井野会館前道標背面佐倉市井野会館前道標左面
佐倉市井野会館前道標背面左面
道標の正面の中央「…法大師諸願成〓」、右「東小竹臼井佐倉道」、左にも字有り、右面「北青菅下高野道」、背面「西…道」、左面「南上…道」です。
ここの丁字路は、昔は十字路だったようです。
佐倉市井野会館と丁字路道標
佐倉市井野会館と丁字路道標
この丁字路は、来た方向から左(東)へ曲がります。ほどなく、左手に千手院となります。
井野千手院前
井野千手院前

次回は、井野の千手院(57番)

次回は、井野の千手院(57番)に参ります。