(令和6年3月21日その1)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、本日は、佐倉市井野新田(井野町(いのまち))の大師堂(番外)から始め、続けて、八千代市上高野原(上高野(かみこうや))の大師堂(番外)に参ります。
本日の出発点は、前回の最後の札所、佐倉市上志津の西福寺(48番)です。西福寺を出て右、上の写真の奥に進みます。すぐに道が右にカーブする地点、そのまま右にカーブして、坂を上って、水道道に合流して北北東へ、千葉県道155号四街道上志津線との上志津十字路交差点、これを左折します。そのまま県道を進んで、京成本線の踏切、これを渡って、すぐの国道296号との井野交差点を左折(西行)します。しばらく進むと、左手すし銚子丸志津店の先、右手ドラッグストアマツモトキヨシ佐倉井野店駐車場の向かいに、大師堂が見えます。そこが目的地です。
井野新田の大師堂
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。写真左が井野町会館、右が大師堂です。大師堂の左前に記碑があります。多分ですが、井野町区祭壇を平成25年(2013年)に生前供養つまり廃止して、管理費用の残りを大師堂の改築に当てたようです。
この辺りは、かつて井野村( 中心部は現在のユーカリが丘線環状線部分 )の人たちが開発したので、井野新田/井野村新田と称していました。幕末期、井野村新田の一部が、江戸詰めから引き上げた佐倉藩士に与えられて井野町となりました。それ以来、井野村新田を含む井野村(→志津村井野→佐倉市井野)と、井野町(→志津村井野町→佐倉市井野町)が並立しています。
それでは、次へ参ります。大師堂前の国道西側すぐの信号交差点、そこで右(北)の井野に入ります。すぐの住宅地内の変則交差点、1時の方向へ、またすぐの突き当たり丁字路、左へ、またまたすぐの突き当たり変則十字路、右へと曲がって、そのまま北東方向に直進します。これが突き当たる三叉路、右へ、すぐの道なり左カーブの交差点、道なり左へ曲がると左に大師堂です。
上高野原の大師堂
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
道路側に大師堂、その右に説明板や手水鉢、敷地奥は上高野原連合自治会館です。これに拠れば、江戸期の上高野原は佐倉領で、平時は農業、有事には剣を執る農兵数名がいた。文政13年(1830年)大師像を安置して大師堂を建立、「虫除けの大師」とも云われた。手水鉢は「〓治廿四〓 〓月吉日」。(〓治24年=明治24年=1891年)御詠歌は「かみたかの はらのあれちも いまかくに だいしはこゝに ありあけのつき」で、地名(上高野原=かみたかのはら)を織り込んでいます。
次回は、上高野の金乗院(49番)
次回は、上高野の金乗院に参ります。上高野原大師堂を出て右ですぐに道なり右カーブし、後は西へ真っ直ぐ進みます。