(令和6年4月2日その1)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、本日は、佐倉市小竹(おだけ)の西福寺(58番)から始めます。
本日の出発点は、前回の最後の札所、井野の千手院(57番)です。写真左奥にある千手院から道路に出て左( 写真の奥 )へ、坂を下り、谷津田を渡って、ユーカリが丘線の下を潜り、対岸の坂を上ります。坂上、丁字路は左に、隣接する丁字路、右折します。団地を抜けた先の三叉路、左手の二股部に石塔石仏群がありました。
小竹三叉路野仏群
左(西)端に説明板があります。これに拠れば、ここから50メートル南の三叉路にあったものを移したそうです。
これらの中から、説明板のすぐ右隣の石仏、中央の上部「秩父」、右面「右ハ あをすげ まつさ〓 みち 左ハ いのを かやだ みち」、左面「文久元酉年三月吉日」で道標を兼ねています。(文久元年=1861年は2月改元)
その右隣の石仏、右「〓造立馬頭觀音爲二世安樂」、左「寛保三癸亥年三月日」。(寛保3年=1743年)
その右も馬頭観音です。この写真の右前の石塔は、正面中央「馬頭観〓音」、その左右「天保十三寅 四月吉日」。(天保13年=1842年)
上の写真で左にちょっとだけ写っている小さな馬頭観音、左「文政十二丑二」まで見えます。(文政12年=1829年)
二股三叉路の股のところは庚申塔群です。一番右の庚申塔は、正面「青面金剛王」、右面「文化十酉年十一月吉日」、左面「右ハ 上〓下志〓 左ハ 臼井成田」で兼道標。その左の庚申塔は、右「奉造立青面金剛」、左「元文五庚申天十月廿三日」、その左の庚申塔は、正面「庚申塔」、右面「文政十二丑年正月吉日」(文化10年=1813年、元文5年=1740年)
庚申塔群の左は月待塔群です。この2枚の写真の右手前は庚申塔ですが、その正面「庚申塔 郷作中」、右面「万延元庚申十一月日」。その左の二十三夜塔は、正面は種字に「二十三夜待供養塔」、右面「寛政九丁巳年二月吉日」、その奥の二十三夜塔は、正面「二十三夜」、右面「文政五壬午十一月吉日」。(万延元年=1860年、寛政9年=1797年)
ひととおり観た後、三叉路を右(南東)へ、次の丁字路、左へ、道なりに曲がりくねった後のK字路、2時の方向に右折して、直後の丁字路、左折し、緩やかに坂を下りますと、右手に西福寺が現れます。
小竹の西福寺
真言宗豊山派、西福寺、佐倉市小竹977番地の1。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所58番。入口の右に説明板、入口入って参道左に石塔石仏群、参道途中に石柱門、その先に本堂、本堂の左に58番大師堂、その左に記念碑、そして弁財天祠があります。
説明板
これに拠れば、山号は長谷山、本尊は阿弥陀如来。明治6年(1873年)の火災で本堂・書類焼失して、開基は不明。明治8年本堂再建、昭和16年(1941年)の集中豪雨で裏山が崩れて本堂崩壊、昭和54年本堂再建。
石塔石仏群
この中の第二列左端は59番標識塔、その右隣は百観音供養塔です。59番標識塔の正面「新四國八十八〓 〓礼山冩五十〓」、左面「小竹 西福」、百観音供養塔の正面中央は種字に「坂東百番観世音供養…」、右「西國 〓治…年」、左「秩父 十一月…」。
前列左から3番目の石仏は、左面「寛政元己酉年三月吉日」。
第二列中程の石仏、この写真の左の石仏は、右「村中女人講中」、左「文化十三子二月吉日」。
石柱門
本堂
扁額は「長谷山」。
境内左手
58番大師堂
手水鉢には「天保六未年 二月吉日」。
記念碑
タイトルは「浄光礎」。これに拠れば、山万株式会社の( ユーカリが丘 )開発に、小竹公徳社所有地を( 売却 )処分したので、本堂を建てたようだ。
弁財天
次回は、臼井台の実蔵院(59番)
次回は、臼井台の実蔵院に参ります。西福寺を出て左(東北東)に進みます。