(令和6年4月10日その5)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、物井の円福寺(千64番&千65番&千66番)の次ですが、まず円福寺近くの天照皇大神社に寄り道した後、栗山(くりやま)の蓮花寺(千67番&六85番)への道中、栗山の香取神社に寄り道します。
円福寺駐車場から北にある天照皇大神社そばまで来ました。ここからですと、本殿の左(南)側に出ることになります。
物井の天照皇大神社
天照皇大神社、四街道市物井870番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
拝殿は東向きで、東側に鳥居、下り参道階段、鳥居の南側に手水鉢と説明板があります。大師堂はありません。
本殿
説明板
これに拠れば、住所は物井字台870番地、主神は天照皇大神、ここは元は熊野神社で、大正元年(1912年)に以下の神社を合祀の上、社名を天照皇大神社に改めた。
- 大宮神社、鎮座地は字馬場、ご祭神は天児屋根命
- 朝日神社、字郷、天照皇大神
- 大日神社、字御山、大日霊貴命(=天照皇大神)
- 香取神社、字新田、経津主命
- 八幡神社、字松葉作、本田別命(=応神天皇)
- 熊野神社、字台(現在地)、伊弉諾命・伊弉冊命・事解男命
思うに、御山の大日神社は、もともとは大日如来を祀っていたのでしょうか。なお、迅速測図に拠れば、朝日社が、現もねの里4丁目20番北東部にあったようです。
手水鉢
手水鉢には「天保三 辰〓 十二月吉日」とあります。(天保3年=1832年)
参道階段
鳥居
拝殿
神額は「天照皇大神社」。
それでは、次へ参ります。来た道を戻って、四街道市もねの里の2丁目・3丁目・5丁目・6丁目境の信号交差点まで来ました。ここは直進で、来た道とは別れ、その先道なりでの突き当たり丁字路、左折、次いで、東関東自動車道の上の長岡橋を、渡って右折で、自動車道の南側側道を西へ進みます。途中で谷を渡るときに北側側道と合流しますが、再分離後も南側で、次の丁字路、右にミラーのある所で左折します。ようやっと田舎道になって安心してからの十字路、右奥に石塔と説明板があります。
栗山馬洗の秩父三十四番供養塔
説明板に拠れば、所在地は(四街道市)栗山字馬洗844-1地先、供養塔の正面中央は種字に「秩父三十四番供養塔」、正面の右「東 長岡」、左面「南 四ッ街道」、背面は「西南 下志津原 大正六年四月」と「西 馬洗」、説明板には書いてないが右面「北 佐倉」。(大正6年=1917年) 四街道市の指定文化財だそうです。
ここは十字路ではなく五叉路でして、五番目の道は未舗装で、説明板左の民家の壁に沿っています。また、四街道市は文化財指定の基準が、近隣の市に比べて甘いようです。
それで、この交差点は来た方向から左(東)へ折れます。次の突き当たり丁字路の向かいが栗山の香取神社です。
栗山の香取神社
香取神社、四街道市栗山424番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
丁字路に面して説明板、その右に鳥居と手水舎、鳥居入って参道は左に曲がって木の鳥居、常夜灯そして社殿、社殿の右と、参道左側に境内社があります。大師堂は見当たりません。
説明板
これに拠れば、鎮座地(住所)は四街道市栗山字郷中424番地、創建は宝永3年(1706年)、ご祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)、香取神宮の御分霊、栗山村字荒山(896番地)の蓮花寺鎮守として、栗山村住人により創建。
入口鳥居
神額は「香取神社」。
手水舎の説明板
手水舎の屋根の下にも説明板がありました。
木の鳥居
こちらの神額も「香取神社」。
常夜灯
常夜灯の正面(鳥居側)「奉納」、参道側「常夜燈」、台座正面「弘化弍年乙巳九月吉日〓〓治〓建之」。(弘化2年=1845年)
社殿
こちらの神額も「香取神社」。で、幕に隠れてもう1枚神額ありました。これも「香取神社」ですが、左から右に書いてああります。
境内社
社殿の右に三峯神社。参道左の境内社たち、
次回は、蓮花寺(千67番&六85番)
次回は、栗山の蓮花寺に参ります。参道から道路に出て右に進みます。