(令和6年4月14日その8)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、四街道市四街道の東高野山遍照寺(番外)&千葉市若葉区若松町鎌池の大師堂(番外)の次は、若松町の大聖寺(44番)に参ります。
鎌池の大師堂がある若松町北部自治会館から、千葉県道64号千葉臼井印西線に出て右(南)へ、すぐの鎌池交差点、直進、次の信号交差点、斜め左、11時の方向へ、少し離れた次の信号十字路、左折します。JR総武本線中広踏切、横断直進、以後も道なりに進んでの突き当たり丁字路、向こう側駐車場の奥に墓地、大聖寺の新しい建物が見えます。丁字路は右折、すぐの信号十字路、左折で、左手に大聖寺です。なお、このまま直進するとすぐに、国道51号小倉台入口交差点となります。
若松町の大聖寺
真言宗豊山派、大聖寺、千葉市若葉区若松町2092番地の1。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所44番。
道路左に墓石などが見えますが、も少し進んで自動車入口そして山門、山門左前に説明板、山門前左右に大きな仏の立像、さらに右に宝篋印塔、山門入って右に44番大師堂、山門先正面にお堂、山門の左手に鐘楼があります。たぶん本堂は新しい建物だと思うのですが、奥に入っていないのでよう判りません。
説明板
これに拠れば、かつては宇那谷町( 現在の大日町の大聖寺(44番)旧地 )にあったが、旧陸軍の演習場にかかったため、多くの檀家とともに当地に移転した。本堂、不動堂、仁王門がある。
自動車入口
山号は智證山、院号は阿闍羅院。阿闍羅って何?、調べたところ、一般論としては「あじゃら」と読み、不動の梵語名アチャラから来ているそうな。
山門左前仏像
山門左前の仏像、観音像だと思います。その台座の正面中央「奉納四國八十八箇所供養佛」、その左右「若人専念遍照尊 一度参詣四國中 無始罪障道中滅 速得随願諸佛道」( 要するに四国八十八ヶ所参詣の勧め )、更に最下部は「天明三癸卯年 願主 法印… 二月大善日」。(天明3年=1783年)台座右面は、中央「奉納秩父三十四箇所」、その左右「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」(観音経の一節)。台座背面は、中央「奉納坂東三十三所」、その左右は、これも観音経の一節だとあたりをつけたら「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮」と読めました。台座背面は、中央「奉納西國三十三所」、その左右「種々重罪 五逆消滅 自他平等 即身成佛」(観音菩薩の前で唱える決まり文句)。
山門
扁額は「智證山」だと思う。
山門右前仏像
山門右前の仏像は、地蔵像です。台座の正面は「地藏經見聞利益品偈」から始まって( 、左面、背面、右面と続く)、台座下部正面は「當山先師 成等… 願主現住 法印性海」。台座下部左面は「本末壇縁 成三菩提 十月二十四日」、背面は「願以比功徳 … 皆共成佛〓」。台座の地蔵経見聞利益品偈は「有人發心念經典」でお終い。台座下部右面は「門末先師 増進菩提 明和七庚寅年」。(明和7年=1770年)
鐘楼
山門の先
44番大師堂
たしか写真の手前が44番大師堂。
元々は旧宇那谷に在った44番大師堂ですが、大聖寺と共に移転したと思われる、ここの大師堂の他にも、旧宇那谷の一部住民の移転先である、現在の宇那谷町の大師堂(大聖寺)(44番)があります。
山門先のお堂
宝篋印塔
44番標識塔
次へ参ろうとして、壁の向こうに、44番標識塔(を兼ねた石塔)を見つけました。右面に「第四十四番 宇那谷」まで読めました。
次回は、若松町川野辺の八幡神社(番外)
次回は、若松町川野辺の八幡神社に参ります。来た道を戻って信号十字路を右折し、そこからは道なり直進します。