(令和6年3月16日その2)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、柏井町の泉蔵寺(泉蔵院)(43番)&大杉神社の次は、大日町(だいにちちょう)( 元の宇那谷村 )の大聖寺(44番)旧地近くを通った後、豊受神社( 宇那谷鹿島神社旧地 )に寄り道します。
大杉神社の鳥居を出て南へ、すぐの丁字路は左折(東行)します。
少しくねって東南東に向きをかえたあと、三角町に入ってからは完全なストレートになります。この区間は、古くは六方野、戦前までは陸軍演習場で三角原と呼ばれた平原です。
そのストレートのまま、国道16号との信号十字路も横断、大日町に入って少し左に折れた後、左直角に曲がる手前の左丁字路まで来ました。
大日町の大聖寺旧地付近
手前の丁字路を左に入って少し進んでの右手に大聖寺があったようです。ここは直進して、奥で左直角に曲がり、その先で右に曲がった直後、左丁字路を過ぎて反転しました。この写真の前方(西側)の奥が大聖寺旧地です。但し、この辺りが陸軍の演習場に追加され、戦後には開拓者の入植地になって、今は事業用地になっており、寺の痕跡は見当たりません。その丁字路を北に入ります。
次の突き当たり丁字路、ここは左へ、すると左手に大日公園があります。
大日町の大日公園
千葉市花見川区大日町1462。(千葉市Web siteより)公園の南南西方向が大聖寺旧地になります。さて、大日公園を通過しての次の丁字路、看板の通りに右折、次の交差点でやや右に入ると、左側に豊受神社です。
大日町の豊受神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。参道を入って鳥居、その先参道真っ直ぐに本殿、本殿右手に大日町会館、本殿左に石碑と鹿嶋神社です。大師堂はありません。
鳥居
神額は「豐受神社」。
大日町会館
本殿
境内
鹿嶋神社
記念碑
タイトルは「碑記」。これに拠れば、
- 豊受神社は、豊受大神宮( 伊勢神宮外宮 )からの御分霊。境内地は開拓者並びに入植者の共同所有地。
- 平成7年(1995年)が大日町開拓50周年、つまり開拓は昭和20年(1945年)開始。
- 平成11年(1999年)が豊受神社創建50周年、つまり創建は昭和24年(1949年)。
- この境内地は、寛永2年(1625年)創建の鹿嶋神社旧地。
- 昭和14年(1939年)に当地が軍用地として接収され、鹿嶋神社と旧宇那谷村居住者は(千葉市若葉区)若松町に移転。
なお、大聖寺も同時期に若松町に転出しています。若松町の大聖寺には44番大師堂もあります。
しかしながら、旧宇那谷村が全て若松町に転出したのではなく、この近く(北側)に移住した人達もいました。その現在の宇那谷町にも44番大師堂があります。
次回は、宇那谷町の大師堂(大聖寺)(44番)&八幡神社
次回は、その宇那谷町にある大師堂(大聖寺)(44番)と、隣接する八幡神社に参ります。神社を出て左へ、突き当たりの丁字路も左で北に進みます。