(令和5年10月7日その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、源町の薬王寺(16番)&神明社の次は、萩台町(はぎだいちょう)の阿弥陀堂(17番)、続けて、園生町(そんのうちょう)草野の大師堂(番外)に参ります。
神明社から南へと来た道を戻り、薬王寺南東角の丁字路を右折、薬王寺前を通過してそのまま道なりで坂を下ります。その先の交差点、ここを右折すると千葉都市モノレール動物公園駅、その先は千葉市動物公園です。この交差点は直進します。くねくねとした道で坂を上りますが、台地に上った後に突き当たり丁字路交差点に出ます。交差点手前左は墓地です。ですがこの丁字路交差点、実はよく見ると五叉路状でして、突き当たっての向こう側右の細道に入ります。その次の交差点の向いが目的地です。
萩台町の阿弥陀堂
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
千葉寺十善講八十八ヶ所17番。阿弥陀堂と書きましたが、本当に阿弥陀堂なのかは不明です。一番大きな建物は単なる集会所のようです。その建物の左前に17番大師堂、大師堂の左脇に17番標識塔、大師堂の左側に石塔石仏群があります。
17番大師堂
大師堂の右前の柱にある白い札には「新四國 八十八ヶ所 第十七番 萩台(阿彌陀堂) 井戸寺」とあります。御詠歌額の文字は見えません。
17番標識塔
標識塔正面「新四國八十八ヶ所 第拾七番井土寺摸」、左面「天保三壬辰…吉日 阿弥陀堂」、右面は御詠歌、御詠歌の中でも「井土」の字を使用。(天保3年=1832年) 「土」の字は右上に点が付いています。例えると、大→犬のような。
この標識塔は、薬王寺にあった16番標識塔と同年で、だいたい同じ様式ですが、細かい違いはあります。
石塔石仏群
六十六部供養塔
六十六部供養塔がありました。正面は梵字3字に中央「奉納大乘妙典六十六部塔」、その左右「天下泰平 日月清明」、左面「下総國千葉郡萩臺村行者〓心」、右面「寶暦六丙子年十一月吉祥之日」。(宝暦6年=1756年)
石仏
右「…立時〓〓為講中二世安樂所」、左「…三戊戌天四月八日敬白」。戊戌3年は享保3年(1718年)のみ。4月8日は灌仏会の日ですね。
十九夜塔
十九夜塔の右「天保十四〓三月吉日」、左「十九夜爲二世安禾也」。十九夜塔の右「奉〓十九夜念…」、左にも字がある。十九夜塔の右「立〓如意輪観自在 爲…十九夜講」、左「享保十二丁未天十月十九日」、足元「萩臺村」。十九夜塔の右「十九夜念佛供養 萩臺村施主」、左「〓〓二年 …十九日」。十九夜塔の左「十九夜講中爲二世安樂也」、右にも文字が見える。
それでは、次へ参ります。まず、阿弥陀堂を出て左にぐるっと回って、写真の右奥方向へ進みます。次の丁字路は道なりに右へ、その次の一時停止の交差点は、やや左、11時の方向、写真の奥へと進みます。道なりにどんどん行くと、千葉県総合スポーツセンターに突き当たりますが、そのスポーツセンターに入って右へ、センター内の交差点は直進して、そのままセンターを出て、横断歩道を渡って、デイリーヤマザキ千葉スポーツセンター店の左(南)側の小道、ここに入って、すぐ次を右折(北行)します。しばらく進んでの突き当たり丁字路、これは右折後すぐ左折すると、右手に草野会館の建物が現れます。
園生町の草野会館
会館の左(北)に草野の大師堂です。
園生町草野の大師堂
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。御詠歌額には「昭和十九年五月一日」とあります。(昭和19年=1944年)
次回は、長沼町の駒形観音(18番)
次回は、長沼町の駒形観音に参ります。
草野会館から南に来た道を少し戻り、丁字路右折からは道なりに真っ直ぐ西へ進みます。