(令和5年10月7日その5)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、萩台町の阿弥陀堂(17番)&園生町草野の大師堂(番外)の次は、長沼町(ながぬまちょう)の駒形観音(18番)に参ります。
草野の大師堂・草野会館からの進路ですが、ピンとくる良いルートが見いだせなかったので、判りやすいルートにしました。
大師堂・草野会館に向かって右(南)へ進み、突き当りの丁字路、ここを右折、しばらく道なり直進で、国道16号との信号交差点、これを右で、国道の右(東)側歩道を北に進みます。そうして、御成街道( 千葉県道66号浜野四街道長沼線・同69号長沼船橋線 )との長沼交差点に来て、横断歩道を渡って右折する、その前に、交差点北東角にある地蔵像へ。
国道16号東金御成街道長沼交差点の地蔵像
像の左右「享保十二丁未年 …廿四日」。(享保12年=1727年)
交差点は右(東南東)へ、すぐの長沼交番の隣が、駒形観音の入口になります。因みに、長沼交番の住所は千葉市稲毛区長沼町28番地です。
長沼町の駒形観音
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
千葉寺十善講八十八ヶ所18番。境内は縦長、鰻の寝床になっていて、まず県道際左に駒形大仏の文化財標柱、参道に入ると石柱門、石柱門の左に御成街道と長沼地域の説明板、参道を進むと、右に子安様群、左に長沼町町内会館、右に駒形大仏、左に18番大師堂、参道奥に観音堂、観音堂の左に天神様です。
駒形大仏文化財標柱
御成街道と長沼地域の説明板
これに拠れば、この辺りは六方野(ろっぽうの)と呼ばれていたが、延宝3年(1675年)に新田開発されて長沼新田となった。絵図を見ると、六方野開墾の範囲は、千葉市稲毛区の長沼町・長沼原町・六方町・山王町・鹿放ケ丘(の西部?)、千葉市花見川区の三角町・千種町といったあたりでしょうか。
石柱門
山号は仏母山。
子安様群
この写真右の子安像「十二月吉日」、左の子安像「文久元酉年 四月十七日」。(文久元年=1861年)この写真、右の柱に少し隠れた子安像の右「嘉〓三戌三月吉日」、左は柱に半分隠れているが多分「人講中」。(嘉〓3戌年=嘉永3年=1850年) その左の子安像は上「奉…」、台座「女人講〓」。この写真中央は子安様ではなくて十九夜塔ですね。中央から左「奉造立 十九夜 男女講中」、右「文化三寅二月十九日」(文化3年=1806年)この写真中央も十九夜塔で、中央最上部に種字、右「奉造立十九夜講中爲現當二世安樂也」、左「寳暦三癸酉歳十月十九日願主當村」。(宝暦3年=1753年)
駒形大仏
これに拠れば、駒形観音堂は、本尊馬頭観音、元禄16年(1703年)開基。大仏も元禄16年の開眼、元は別の地にあったが、元文4年(1739年)に移座。これに拠れば、大仏は露座であったが、近年になって酸性雨の懸念もあり屋形を設置した。千葉市指定の有形文化財です。
www.city.chiba.jp
観音堂
18番大師堂
天神様
観音堂改築記念碑
長沼町町内会館
境内
帰宅
今日はここまでとします。本日は、14番旧地、15番、16番、17番、番外、18番、それに神社3社に参りました。