(令和5年5月24日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、草深天王前の大師堂の次は、草深仲ノ側集会所の大師堂(79番)と、隣接する丸山観音堂に参ります。
千葉県道190号から信号交差点を右折して、内川集会所の石塔群に寄り道しました。その後は、この写真の右端の三叉路を左折して、写真奥、師戸川沿い水田の左岸の道を南東に進みます。前回と同じ事を書きますが、こんな台地の中に水田があるなんて、びっくりです。
そして、道が南向きから急に東に向きを変えるところ、その左側(内側)の小高いところに、仲ノ側集会所や、79番大師堂があります。
仲ノ側集会所と79番大師堂
印西大師79番。いちおう、進行方向の左に階段、というか石段の痕跡はあるようですが。いったん道路に戻り、それから南側に回ります。南東側にちゃんとした階段があって、その先に、多数の大師像を納める大きな大師堂、その左に79番大師堂、少し離れた左に仲ノ側集会所があります。
手水鉢
階段上の右手に手水鉢がありました。手水鉢には「慶應二年 寅十一月廿一日」とあります。(慶応2年=1866年)
大きな大師堂
大きな大師堂内の大師像台座には、例えば「文久二戌年 十月吉日 八十八番」とか、「文久三亥年 二月吉日 八十七番」などとあります。(文久2年=1862年) 全部数えたわけではないですが、88体ぐらいはありそうです。
79番大師堂
草深天王前の79番大師堂とは違って、こちらには岡本さんの白い番号札があります。台座には、中央「南無大師遍照金剛」、その左右「文政十二丑年 十一月吉日」とあります。(文政12年=1829年)
仲ノ側集会所
集会所の北側に、丸山観音堂があります。そちらにも参ります。
丸山観音堂
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。集会所から来た場合、境内参道の中間に出ることになります。左に進むと、常夜灯、参道の左右に石塔石仏と草深開墾三百年記念の碑、そして奥に観音堂です。
観音堂
草深開墾三百年記念碑
この碑には「草深開墾 三百年記念 昭和四十四年十二月建之」とあります。(昭和44年=1969年、その300年前は1669年=寛文9年) 草深地区は、他地区と比較して、江戸時代前期の開墾事業を、誇りに思っている様です。
参道右石塔石仏群
写真右から2番目の石仏は、右「奉供養子安〓」、左「保二卯年四月吉旦」とあります。(寛文以降の〓保2卯年=天保2年=1831年)
参道左石塔石仏群
こちらの(背の低い方の)庚申塔、右面「奉造立庚申諸願成就所」、左面「元文四未天十一月十七日」とあります。(元文4年=1739年)こちらの(左端の)庚申塔、正面に種字と「青面金剛王」、右面「天明元丑年」、左面「十一月吉日」とあります。(天明元年=1781年)
常夜灯
常夜灯には両方とも「天明二寅年四月九日」とあります。
南東側入口
境内参道を逆に進めば、道路に面した入口に至ります。入口の右上に、六十六部供養塔が2基あります。これらについては、次回の記事に回します。
次回は、草深の稲荷神社
次回は、丸山観音堂入口の六十六部供養塔2基に触れた後、草深の稲荷神社に寄り道します。