印西大師・印西地区の大師堂巡拝 草深天王前の大師堂など

(令和5年5月24日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝ですが、本日は、印西市の東端、印旛沼(干拓地)に食い込む山田・平賀両地区を目指す予定でした。しかし、その前に寄り道です。というのは…
印西大師の記事を書き始めた後で、こちら(taipa様)のページ、
https://godowngamblin.blog.fc2.com/
の存在を知りまして、以後は、自分が記事を書いて投稿を予約した範囲で、そちらのページも読んでいました。そうすると、国道464号草深(そうふけ)交差点の南にある八坂神社の所に大師堂があるとの事。いやあそこのお堂は別物だったはず、あれ、その隣の集会所みたいなところに大師堂と、そっちのお堂は未認知だった。という訳で、八坂神社隣の大師堂に、当方も確認に行きます。なお、taipa様の直近のホームはこちら、
godowngamblin.com
になります。
という訳で、印西市草深の西の八坂神社目指して移動中、そこで飛行機の2機編隊を目撃しました。

印西市上空の2機編隊
印西市上空の2機編隊
印西市上空の米軍機
印西市上空の米軍機
尾翼に、合衆国国旗(らしき図)と「YJ」の文字があります。アメリカ空軍横田基地所属C130Jスーパーハーキュリーズ戦術輸送機という、現代のヘラクレスさんらしいです。ここまでいらしてるとは。
そして、最初の目的地です。
印西市草深天王前
印西市草深天王前
この交差点の左の鳥居が八坂大神(八坂神社)、小道を挟んでバス停のあるのが大師堂のある集会所、道路を写真奥に進むと国道464号草深交差点、さらに進んで、草深北西の庚申塔・道標のある交差点、その交差点を左折すると、泉新田(泉)の泉新田大師堂などに至ります。

草深天王前の八坂大神

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
道路際に鳥居、そこから参道、その先社殿です。社殿の左前には天満宮の祠があります。

鳥居・参道

草深八坂大神鳥居参道
草深八坂大神鳥居参道

社殿・天満宮

草深八坂大神社殿と摂末社天満宮
草深八坂大神社殿と摂末社天満宮
祠の中に天満宮の石祠があるのを確認しました。大師堂ではありません。
そして隣に移ります。

草上コミニュケーションセンター

草上コミニュケーションセンター北側
草上コミニュケーションセンター北側
バス停は「天王前」、集会所の看板は「草上コミニュケーションセンター」。天王前とは、地理院地図にも記載された、この辺りの小字です。常識的に考えて、天王(前)とは牛頭天王すなわち八坂大神を指すのでしょう。
草上コミニュケーションセンター南側
草上コミニュケーションセンター南側
集会所の左(南)側にお堂がふたつあります。左の八坂大神に近い方は、たぶん不動堂。そして集会所に近い方が、79番大師堂です。

79番大師堂

79番大師堂
79番大師堂
印西大師79番番号札
印西大師79番番号札
こちらには、岡本さんの白い番号札はありません。
79番御詠歌額
79番御詠歌額
御詠歌の「天皇」とは、崇徳院を指します。当地の79番は、本家の「天皇」と、当地の「天王」をかけたものでしょう。
79番大師像台座
79番大師像台座
台座には「七十九番」とあります。
印西大師の明治初期の史料には、草深の、てんおふとう(天王堂)が79番札所とされています。多分、この辺りにあったのでしょう。

石仏群

大師堂の背後に、石仏が並びます。

草深天王前の石仏群
草深天王前の石仏群
左5体は女人講の子安像ですが、右端の石仏は、右に「圓舜 治相常〓庵主覚位」、左に「寛文十三癸丑年七月三日」とあります。(寛文13年=1673年) ここに庵があって、その主の供養塔でしょう。寛文13年は、草深の開発が始まって間もなくの頃です。
という訳で、草深天王前の大師堂を確認しました。この後は、草深の他の大師堂に参ります。八坂大神前の交差点を東に進みます。しばらく直線の後、千葉県道190号に合流する交差点に出ます。
草深七軒屋から千葉県道190号交差点
草深七軒屋から千葉県道190号交差点
ここを渡って、県道南側歩道を東に出ると、
草深内川水田西端
草深内川水田西端
周囲より1メートルほど低いだけですが、水田です。この辺りは、江戸時代的な基準だと、印西牧などの馬の放牧地にするか、薪などを確保するための入会地とするか、他には使い道の無い土地かと思っていましたが、水田ですよ。これは開拓しますよ。
で、県道を東に進んで、次の信号交差点で、
草深内川集会所横
草深内川集会所横
信号を渡った南東角に、集会所と石塔群があります。

草深内川の石塔群

草深内川石塔群
草深内川石塔群
この中の一番左(南)は、道標です。

草深内川の道標

草深内川の道標左面背面草深内川の道標正面左面
草深内川の道標
草深内川の道標右面
草深内川の道標右面
道標の正面上部「東 仲草深 造谷 岩戸 道」、正面下部「大正八年五 草〓開墾 二百五十年 草〓青年」、左面「南 結縁寺 舟尾」、背面「西 泉 六軒道」、右面「北 古新田 別所 道」とあります。(大正8年=1919年) これは、草深北西の道標と同じ月に造られたものです。

内川集会所

内川集会所看板
内川集会所看板

次回は、草深仲ノ側集会所の大師堂(79番)

次回は、草深は仲ノ側集会所にある大師堂(79番)に参ります。内川集会所から南に進んで直ぐの三叉路を左折し、水田の北側を南東に進みます。