印西大師・印西地区の大師堂巡拝 笠神の向公会堂の大師堂&笠神集会所の大師堂、序に笠神の鳥見愛宕両社

(令和5年5月2日その5)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、中根の観音堂(85番)&笠神の辻堂(71番)&笠神の表前観音堂の次は、笠神の鳥見愛宕両社に寄り道した後、笠神の向公会堂にある大師堂、続けて、笠神集会所にある大師堂に参ります。
表前観音堂から北に、千葉県道291号に出て直ぐ、右手に参道らしき道があります。

笠神鳥見愛宕両社入口
笠神鳥見愛宕両社入口(写真は参拝後の撮影)
この先に鳥見愛宕両社があります。

笠神の鳥見愛宕両社

鳥見愛宕両社、印西市笠神401番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
参道真っ直ぐに鳥居、その先も参道が真っ直ぐに延びて階段になり、階段上境内に拝殿があります。庚申塔が階段下右や階段上の左にありますが、大師堂はありません。

鳥居

笠神鳥見愛宕両社鳥居
笠神鳥見愛宕両社鳥居(写真は参拝後の撮影)
鳥居の神額には縦書きで、左上「鳥見」、右上「愛宕」、下「両社」とあります。

参道階段と庚申塔

笠神鳥見愛宕両社参道階段笠神鳥見愛宕両社参道階段下庚申塔
笠神鳥見愛宕両社参道階段と庚申塔
階段下の庚申塔は、正面「庚申塔」、右面「天保十二丑十一月吉日」とあります。(天保12年=1841年)

階段上境内

笠神鳥見愛宕両社階段上境内
笠神鳥見愛宕両社階段上境内

階段上庚申塔

笠神鳥見愛宕両社階段上庚申塔
笠神鳥見愛宕両社階段上庚申塔
写真左の庚申塔は、右「元文二丁己十月吉日」(己は巳の意)、左「笠神村」とあり、中央の庚申塔は、中央「青面金剛王」、その左右「寛政六寅天 十一月吉日」とあります。(元文2年=1737年、寛政6年=1794年) 右の石碑は、何でしょうか。

拝殿

笠神鳥見愛宕両社拝殿
笠神鳥見愛宕両社拝殿

本殿

笠神鳥見愛宕両社本殿右側
笠神鳥見愛宕両社本殿右側
笠神鳥見愛宕両社本殿左側
笠神鳥見愛宕両社本殿左側
神社は平野の小山の上にありますが、木々が生い茂っており、眺望はそれほどでもないです。
それでは、下山して次へ参ります。参道から県道に出て右(北)に進み、元の本埜村役場である印西市本埜支所を通過します。この支所の北東角の三叉路には信号が無く、次の(一応)十字路には信号があります。
千葉県道291号本埜支所北の交差点
千葉県道291号本埜支所北の交差点
この先で県道が左にカーブする所の左側に、向公会堂があります。また、信号交差点を直進して直ぐ斜め左の古道に入り、それが県道と合流する所の左側でもあります。

向公会堂

笠神向公会堂
笠神向公会堂
敷地に入って右に向公会堂、左に大師堂や古い六地蔵があり、敷地奥は墓地です。なお、地理院地図に記載があるので、向はこの辺りの小字でしょう。
笠神向公会堂敷地左側
笠神向公会堂敷地左側

向公会堂の大師堂

笠神向公会堂大師堂
笠神向公会堂大師堂

向公会堂の六地蔵

笠神向公会堂六地蔵
笠神向公会堂六地蔵
六地蔵は、公会堂よりも墓地に付属するものでしょう。右から二番目の地蔵像には、「安永五丙申十一月吉日」とあります。(安永5年=1776年)
それでは、次へ参ります。来た道を戻り、鳥見愛宕両社参道のひとつ手前の十字路、
千葉県道291号鳥見愛宕両社参道北の十字路
千葉県道291号鳥見愛宕両社参道北の十字路
ここを左折します。しばらく進んで、右上に鳥見愛宕両社の社殿があるあたり、左手に墓地と集会所に大師堂が現れます。
笠神集会所前
笠神集会所前

笠神集会所

笠神集会所
笠神集会所
右の新しい建物が笠神集会所、間に一棟挟んで、左の墓地の右端に大師堂があります。

笠神集会所の大師堂(慈眼坊大師堂)

笠神集会所大師堂
笠神集会所大師堂
笠神集会所大師像台座
笠神集会所大師像台座
台座には「文政〓〓 十一月」とあるようです。(〓〓は七申かな、文政年間=1818年から1830年)
笠神集会所大師堂の札
笠神集会所大師堂の札
大師堂の右に貼ってある札の末尾に「慈眼坊 大師堂建立寄附金芳名」とあります。ゆえに、この大師堂を慈眼坊大師堂と呼んでもいいかもしれません。
なお、地理院地図からは、この辺りの小字が、原であると読めます。そして、印西大師の明治初期の史料には、この辺りに、はらのとう(原ノ堂)という82番札所があったとあります。この原ノ堂が、慈眼坊にあったかは不明ですが、可能性は結構ありそうです。因みに、現在の82番は、白井市根の長楽寺にありますが、明治初期の史料では、後の白井市根になる地域の記述がありません。

次回も、笠神の大師堂廻り

次回も、笠神地区の大師堂を廻ります。この辺りは大師堂が多いのです。