印西大師・印西地区の大師堂巡拝 中田切の白山神社など

(令和5年4月27日その7)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、安食卜杭の覚了庵などの次は、中田切の白山神社などに参ります。
覚了庵・覚了霊苑の前の道を右(西)に進んで、来た道を戻ります。大竜神社の鳥居のある十字路まで戻って左折で行きます。(実際は少しショートカットしてます。) 大竜神社から約0.7km弱の松木地区にて、左手の民家の道路際に大師堂があります。

松木の大師堂前
松木の大師堂前

松木の大師堂

松木の大師堂
松木の大師堂
こちらの大師堂には、印西大師系のお札がありましたが、四郡大師関係のお札等は見当たりませんでした。
さて、道をそのまま東へ進むと約0.3kmで左手に、墓地、集会所、白山神社があります。墓地の東に、白山神社を向いて大師堂が建っています。
中田切白山神社前
中田切白山神社前

中田切の大師堂

33番の標識塔あり。

中田切の大師堂前
中田切の大師堂前
中田切の大師堂
中田切の大師堂
大師堂の左に33番標識塔、その左に印西大師関連の弘法大師供養塔があります。

33番標識塔

33番標識塔正面33番標識塔右面
33番標識塔
標識塔の正面中央「新四國八十八ヶ所霊場」、その右下「第三十〓番」(〓は二か三)、その左下「土州〓福寺写」、右面「明治五年壬申十月廿一日兩村」とあります。(明治5年=1872年) 本家四国八十八ヶ所の32番は禅師峰寺、33番雪蹊寺の古称が高福寺です。両村とは、中田切新田(印西市中田切)と、もうひとつはおそらく松木新田(印西市松木)でしょうか。
印西地区の大師堂では、こういう標識塔は珍しいので、なぜここにはあるのか不思議です。

弘法大師供養塔

中田切の弘法大師供養塔正面左面中田切の弘法大師供養塔正面右面
中田切の弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、左面「先達 笠神 南陽院 砂田 西福寺 萩原 龍泉院」、右面「昭和十二年一月二十一日建之」、台座「小廻組」とあります。(昭和12年=1937年)
さて、印西大師の明治初期の史料には、中田切新田の、はくさんとう(白山堂)が掛所と記されています。この白山とは、隣接する白山神社を指すのでしょう。よって、白山神社にも、寄り道ではなく、当然に参拝いたします。
大師堂の右に集会所があります。

三区コミュニティセンター

三区コミュニティセンター
三区コミュニティセンター
集会所の看板には三区コミュニティセンターとあります。
さて、白山神社です。

中田切の白山神社

白山神社、印西市中田切38番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

中田切白山神社
中田切白山神社
これも小さな神社です。鳥居から参道・階段で壇上中央に社殿、社殿の右前に石仏、左前に庚申塔があります。

社殿

中田切白山神社社殿
中田切白山神社社殿

石仏

中田切白山神社石仏
中田切白山神社石仏
字が刻んであるのは判るのですが、ちょっと読めないです。

庚申塔

中田切白山神社庚申塔
中田切白山神社庚申塔
写真左の庚申塔には、正面の最上部に「奉待庚申」、右に「諸願成就之処」、左に「正徳二壬辰天十一月吉日」とあります。(正徳2年=1712年)

お供えの痕

中田切白山神社のお供えの痕
中田切白山神社のお供えの痕

次回は、酒直卜杭の水神社など

次回は、酒直卜杭の水神社などに参ります。白山神社から道路に出て左(東)に進みます。