(令和5年4月27日その8)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、中田切の白山神社などの次は、酒直卜杭(さかなおぼっくい)の水神社などに参ります。
白山神社から道路に出て左(東)に進みます。白山神社から道なり約1.3kmで、左手に、印西市消防団第14分団第7部の倉庫、水神社が現れます。この水神社の東隣に大師堂があるので、先ずは神社に参ります。
酒直卜杭の水神社
水神社、印西市酒直卜杭116番地。(千葉県の宗教法人名簿より)これも小さな神社です。鳥居からの参道が階段になって社殿、鳥居の側に手水鉢、鳥居の左に石塔石仏、境内の左側に摂末社があります。
手水鉢
手水鉢には「安政三辰年 九月〓日」(〓は卅、あるいは、廿四)とあります。(安政3年=1856年)
社殿
階段の右上の石には「文政元寅」とあります。(文政元年=1818年)
石塔石仏
鳥居から一番左の庚申塔は左面に「寛政二庚戌十一月吉日」とあります。(寛政2年=1790年)
摂末社
そして、水神社の東隣に移ります。こちらの建物の左、神社側に大師堂があります。
酒直卜杭の大師堂
65番標識塔あり。大師堂内には大師像が8体もあります。大師堂の左右に標識塔、その左に印西大師関連の弘法大師供養塔があります。
大師堂右の標識塔
この標識塔の正面中央「新四國八十〓箇所」(〓は八の異字体?)、右上は、読めん、右面「天保二卯三月吉日」とあります。(天保2年=1831年)
65番標識塔
この標識塔の正面中央「新四國八十八箇所霊場」、その右上「豫州三角寺写」、左上「第六十五番」、右下「下井」、左下「酒〓」、右面「明治五年申十一月吉日」とあります。(明治5年=1872年) こちらは、下井新田(印西市下井)と酒直卜杭新田(印西市酒直卜杭)の両村の人が、中田切の大師堂にあった33番標識塔と同年に建てたものです。
弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛供養塔」、台座「笠神 南陽院 砂田 西福寺 〓〓 龍泉院」、左面「昭和二十一年一月二十一日」とあります。(昭和21年=1946年)
なお、印西大師の明治初期の史料には、酒直新田の、りうすいいん(龍水院)に掛所があったと記されています。ここの大師堂は、その系統にあるのものと思われます。
なお、水神社などの向かいには、酒直卜杭の集会所みたいな建物があります。
次回は、下井の鳥見神社など
次回は、下井の鳥見神社などに参ります。