(令和5年4月27日その9)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、酒直卜杭の水神社などの次は、下井の鳥見神社などに参ります。
水神社からの風景、酒直卜杭の集会所みたいな建物については前回も触れましたが、
水神社の前の道を左(東)に進みます。すぐに、堤防上を走る千葉県道12号との三叉路に出ます。
下井の大師堂
印西大師の明治初期の史料には、下井新田の、みたとう(弥陀堂)が掛所と記されています。ここに(阿)弥陀堂があったのかは不明ですが、墓地に古い石仏もありますので、何らかの仏教施設があったかもしれません。そして、治水に不安のある時代の利根川・印旛沼近くの新田地帯では、家屋や寺社の適地というのは限られます。ですから、ここの大師堂が、掛所弥陀堂の系譜にある可能性は高いと思われます。
下井の石塔石仏
左の六十六部供養塔ですが、中央「奉納大乘妙典日本廻國」、その左右上部「天下和順 日月清明」、右下は一部葉陰でよく判らないのですが「伊勢〓州渡雷郡」、左下「神之原村 榮心」でしょうか。「渡雷郡」は度会(わたらい)郡、「神之原村」は現在の三重県度会郡大紀町神原(このはら)だと思われます。
この六十六部供養塔、何故この地にあるのか。栄心は伊勢の人で、この地とは関係がなさそう。ここには、六十六部の人が納経するような神社仏閣は無い。ただし、香取神宮や成田山新勝寺への経路(含む船路)にはなりうる。とすれば、そういう寺社への参詣途中に、この地で客死したのだろうか。それを当地の人が供養するために、この塔を刻んだのだろうか。
今まで、六十六部供養塔は、回国納経を終えて故郷に帰った人が建てた物だと思ってましたが、ちょっと考えが変わりました。
もっとも、別の解釈として、この地の人が願主になって栄心を実行役に雇った、とも考えられます。それなら願主の名もあるはずですが。
それでは、隣の鳥見神社に参ります。
下井(長門屋)の鳥見神社
鳥見神社、印西市長門屋8番地1の1。(千葉県の宗教法人名簿より)
ここ、住所は長門屋なのか。
下井鳥見神社再建記念碑
帰宅
カメラの電池残量も僅となり、次の大師堂の位置とかも考慮すると、今日はこれまでとします。本日は、印西大師の番付札所は3ヶ所、それ以外の場所に設置の大師堂は7ヶ所などに参りました。