(令和5年4月27日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、小林新田(小林)の観音堂&将監の密蔵院(84番)の次は、将監の大竜神社に戻って参拝した後、安食卜杭(あじきぼっくい)の稲荷神社を経て、安食卜杭の覚了庵に参ります。
密蔵院からの西側、
将監密蔵院から大竜神社を望む大竜神社が見えます。戻って参拝します。
将監の大竜神社
大龍神社、印西市将監390番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
将監大竜神社鳥居の先、参道を真っ直ぐに階段を上って社殿、社殿の右前に八坂神社、鳥居を入って右に大鳥居建立記念碑があります。なお、大師堂はありません。
大鳥居建立記念碑
将監大竜神社の大鳥居建立記念碑これに拠れば、ご祭神は、水波能女命、大山咋命、豊玉姫命の3柱。大雑把には、治水を願う水神社的なお社だと思います。
手水鉢
将監大竜神社の手水鉢手水鉢には「嘉永六丑四月吉」とあります。(嘉永6年=1853年)
社殿
将監大竜神社社殿
弁財天祠
安食卜杭弁財天祠
安食卜杭の覚了庵・覚了霊苑
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
こちら(西)からですと、墓地の向こう側に大師堂、集会所、観音堂が並んでいます。大師堂の左に覚了霊苑の石碑、大師堂の裏に印西大師関連の弘法大師供養塔、観音堂の左に石仏があります。
安食卜杭覚了庵
観音堂
安食卜杭覚了庵観音堂
観音堂横石仏
安食卜杭覚了庵観音堂横石仏右の石仏には、最上部に種字、右に「奉待十九夜念佛供養爲二世安禾」、左に「正徳二壬辰年十月吉日」、中央の石仏は右「奉唱念十九夜念佛供養 爲二世安禾也」、左「元禄十二巳卯天十月十九日 卜杭村」、左の石仏は右「奉唱〓十九〓念佛」、左「〓延宝七〓天十〓十九〓」とあります。(禾は楽の略字、巳卯は己卯の意、正徳2年=1712年、元禄12年=1699年、延宝7年=1679年)
集会所
安食卜杭集会所看板には「安食卜杭集会所」とあります。
大師堂
安食卜杭覚了庵大師堂大師堂の中には四郡大師のお札がありました。
弘法大師供養塔
安食卜杭覚了庵弘法大師供養塔供養塔の正面中央「南無大師遍照金剛」、その左右「天下泰平 五穀成就」、右面「明治廿八未年九月廿一日」、背面「先達 笠神 南陽院 小林 西福寺 萩原 龍泉院」とあります。(明治28年=1895年)
覚了庵再建記念碑
安食卜杭覚了庵再建記念碑記念碑の中央「覺了庵再建記念碑」、その右「明治三十九年七月吉日」とあります。
覚了霊苑の碑
安食卜杭覚了霊苑の碑背面これに拠れば、安食卜杭地区は寛文年間以前から開拓された。(寛文年間=1661年から1673年)
次回は、中田切の白山神社など
次回は、中田切の白山神社などに参ります。