(令和5年8月18日その5)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、発作の最勝院と大杉神社の次は、亀成の水神社に参ります。
最勝院前の十字路を南へ進み、すぐの千葉県道59号木下街道との十字路も横断して細い道を通ります。最勝院前から約0.5kmの十字路、ここを左に、また道なりに進むと、亀成川に架かる水神橋の手前左に、鳥居が見えます。橋の側まで行ってから左を見ると、奥にもまた鳥居があります。
亀成の水神社
水神社、印西市亀成326番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
南側の木々のあるところに水神社の鳥居と本殿、北側の池の中に厳島神社の鳥居と祠、その間の厳島神社寄りに大師堂や石塔石仏群があり、水神社の右奥には亀成会館です。
水神社鳥居
水神社本殿
水神社手水鉢
手水鉢には「文化三丙寅年 二月初午」とあります。(文化3年=1806年)
亀成会館看板
看板には「亀成會舘」とあるようです。
大師堂
印西大師の明治初期の史料には、亀成の、とうこういん(東光院)が掛所と記されています。
厳島神社
厳島神社自体は、千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
たまたま水神社の隣にある独立した神社なのか、水神社の摂末社なのかは不明です。
石塔石仏群
この十九夜塔は、右「十九夜供養塔」、左「寛政七〓十一月…」であってますでしょうか。(寛政7年であれば1795年)この十九夜塔は、正面の右「十九夜」、右面「文政八乙酉」とあるようです。(文政8年=1825年)
それでは、次へ参ります。道路に出て左(南)で、水神橋を渡ります。渡り終えてから約0.1kmの三叉路、ここは右折します。因に、ここを直進後、向こうの丘の麓の十字路を右折すると、その先は小倉・和泉の泉倉寺(1番&5番)などに至ります。
さて、右折後、今度は浦部川に架かる松山橋を渡ります。稲穂が稔る匂いの先に、松山下公園が見えます。
次回は、浦部の歓喜院(88番)
次回は、印西大師最後の札所、浦部の歓喜院(88番)に参ります。松山下公園を突っ切ります。