(令和5年5月9日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、本日は、先日コンプリートした笠神地区の、南側の地区の大師堂を目標にします。ですが先に、船橋からの移動途中、ちょっと気になる所に再訪問します。
まずは、印西市鹿黒の西光寺(4番)へ、鹿黒地区に南から進入します。千葉県道61号を南から進み、直進して県道予定の道路に出ると、右手に新築のデータセンターが見えます。
Google Data Center in Inzai
県道予定の道路は行き止まりなので、このデータセンターの西側→南側→東側→北側と迂回します。県道予定の道路とデータセンターの間は、谷津になっています。現在の千葉県道4号から、鹿黒の古道に移るところ、このデータセンターの北側に出ます。建物上部に見える多数の管は、吸気それとも排気? 手前の円いものは、停電対策の一環?
そして、鹿黒の古道を北に進んで、西光寺です。
鹿黒の西光寺(4番)(再訪)
ここは、本当は通過予定だったのですが。
印西大師標識塔
標識塔の左面下部には「〓黒村 西光寺」とあり、そして正面、前回に参ったときの記事では、
標識塔には「印西新四國〓〓」とあり、「〓〓」は「四番」っぽい。
と書きましたが、今見ると「六十番」に見えます。どういう事でしょう。
さて、ちょっと鹿黒地区を廻ってみます。この大師堂のある十字路を北に進みます。坂を下るとともに道がカーブして、南西方向を向くようになります。南北に走る道を横切って上り坂となるところ、右手に八幡神社があります。
鹿黒の八幡神社
八幡神社、印西市鹿黒315番地。(千葉県の宗教法人名簿より)道路に直交して階段、その先に鳥居、手水舎のスペース、階段と並び、階段上のスペースに拝殿があります。なお、大師堂はありません。
手水舎から拝殿まで
手水鉢
手水鉢には「文政十三寅〓 二月吉日」とあります。(文政13年=1830年)
本殿と摂末社
さて、道路に戻って右(南)に坂を上ります。和泉地区からの道と合流する三叉路、その右手前に鹿黒地区内では広めの墓地があります。迅速測図に拠れば、ここには釈迦堂があったようです。そして現在の西光寺大師堂の場所は、当時は桃などが植わっている畑地でした。何となくですが、もともと西光寺大師堂は、この釈迦堂の辺りにあったような気がします。
さて、その三叉路は左に、民家に入らないように進み、道が左に折れた後の三叉路を左折(北行)して坂を下り、鹿黒の集落を抜けます。
次は六軒の厳島神社(38番)です。亀成川を渡って大森地区に入り、なおも道なりに北へ進み、千葉県道59号に出たら右折です。JR成田線の踏切まで行って、渡ったら左に入れば、厳島神社です。
六軒(大森)の厳島神社(38番)(再訪)
ここの、印西大師38番大師堂の隣の、26番大師堂の再確認に来ました。
26番大師堂
ここの番号札に「文政六」とあるように見えたのですが、やっぱり判らん。しかし、堂内にある物が。
茲ニ奉勧請弘法大師尊像ハ土佐国西寺〓〓霊場写ナリ当国印旛郡大森村六軒新〓石井久七三代目石井久蔵ト称スル文政九戌年ヨリ天保十二〓年マテニ四国七四巡路シ同年〓月五日当所弁天堂〓此〓尊像ヲ納リ亦弘化三午年十月十日諸〓神社仏閣拝礼セン為当国ヲ出立明治十五年十月十日土佐国ニ於テ行年八拾五歳没ス(以下略)
(文政9年=1826年、天保12丑年=1841年、弘化3年=1846年、明治15年=1882年)
とすると、番号札の「六」は六軒の六なのかもしれません。廿六番の六には見えませんが。
続いて、JR木下駅の南側を通って、木下の上町観音堂(30番)に参ります。この日は、環水平アークがうっすら出ていました。
木下の上町観音堂(30番)(再訪)
ここ、印西大師30番大師堂の右隣も大師堂なのでした。
番外大師堂
この写真、左端が印西大師30番大師堂で、中央が別の大師堂です。前回同様、軽自動車が駐車してるので、正面からの個別撮影はできません。
文化財標柱
前回撮影漏れです。これに拠り、ここの住所が印西市木下777だと判るのです。
次回は、再訪・小林新田の観音堂&新規・下曽根の市杵嶋神社の下曽根大師
次回は、小林新田の観音堂に再訪した後、押付の薬師堂(83番)から改めて大師堂廻りを再開し、下曽根の市杵嶋神社にある下曽根大師に参ります。