千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 臼井台の実蔵院(59番)

(令和6年4月2日その2)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、小竹の西福寺(58番)の次は、臼井台(うすいだい)の実蔵院(59番)に参ります。
西福寺を出て左(東北東)に進み、道なりで手繰川の谷津田西側の道に出ました。

小竹西福寺東の丁字路
小竹西福寺東の丁字路
ここは左ですが、すぐの丁字路右折で、写真の奥に見える電柱電線のある道に進み、手繰川を渡って、反対側で右折して、谷津田東側を南に進みます。
佐倉市八幡台3丁目の斜面にキジのツガイ
佐倉市八幡台3丁目の斜面にキジのツガイ
雄キジ発見も、カメラを構えている間に少し遠くへ歩きよった。
さて、臼井西中学校が右手に来たならば、
佐倉市立臼井西中学校北東側
佐倉市立臼井西中学校北東側
この写真の中央、斜め左に斜面を上る道に入ります。そして坂上の三叉路にて、
臼井台実蔵院南の三叉路
臼井台実蔵院南の三叉路
左に切り返すと、すぐの二股三叉路の股の先が実蔵院です。
臼井台実蔵院前
臼井台実蔵院前

臼井台の実蔵院

真言宗豊山派、實蔵院、佐倉市臼井台217番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所59番。
参道を進むと右に石仏群、参道の先は山門、山門入って参道左に旧制明倫中学跡説明板、参道真っ直ぐに本堂、参道途中で左に折れると大きめの地蔵像、弘法大師一千遠忌供養塔、59番大師堂、宝篋印塔などがあります。

山門前参道

臼井台実蔵院山門前参道
臼井台実蔵院山門前参道

参道右石仏群

臼井台実蔵院参道右石仏群
臼井台実蔵院参道右石仏群
この中から、まず右端の3基、
臼井台実蔵院参道右石仏群右端3基
臼井台実蔵院参道右石仏群右端3基
右端の石仏は、中央最上部に種字、右「奉…十九夜觀世音供養成就〓」、左上「安永六丁酉天 十月吉日」、左下「臼井臺町…女人講中」、その左の石仏は、右「〓立秩父三十四…爲二世安樂也」、左は字数はあるがよく読めない。その左の石仏は、中央は種字に「十九夜講中」、右「臼井臺〓善男女人」、左「宝暦六丙子天 十一月吉日」。(安永6年=1777年、宝暦6年=1756年)
地名の臼井台は、現代の新興住宅地としての〇〇台ではなく、江戸期のうちに臼井村から臼井台町として分割された由緒ある地名です。
続いて、中程の4基、
臼井台実蔵院参道右石仏群中程4基右から
臼井台実蔵院参道右石仏群中程4基右から
臼井台実蔵院参道右石仏群中程4基正面
臼井台実蔵院参道右石仏群中程4基正面
上2枚の写真の右端( 全体で右から4番目 )の石仏は、右「〓供養秩父 三十四所」、左「享…十一月吉日」、その左の子安塔は右面「文久壬戌二月吉日」、その左の石仏は、左「享保十五戌年十月日」、その左の石仏は、右面「天保〓〓〓十一月吉日」(〓〓〓は、三辰年っぽい。)(文久2年=1862年、享保15年=1730年、天保3年=1832年)
最後に左端、
臼井台実蔵院参道右石仏群左端
臼井台実蔵院参道右石仏群左端
この写真の右端( 全体で右から8番目 )の石仏は、中央「女人講中」、左「文政三庚辰三…日」、ひとつ飛ばしての、小さくて右側を欠く石仏は、左「天明七未年正月廿四日〓〓」、その左の石仏は、左「天保十一子年三月」。(文政3年=1820年、天明7年=1787年)

山門

臼井台実蔵院山門
臼井台実蔵院山門
山門の左にも石塔石仏が少しあります。
臼井台実蔵院山門前左石塔石仏群
臼井台実蔵院山門前左石塔石仏群
その中の右、山門に近い石塔は、正面の中央「本尊不動明王」、その左右「大澤山 實藏院」とあります。

境内左側

臼井台実蔵院境内左側
臼井台実蔵院境内左側

旧制明倫中学跡説明板

臼井台実蔵院旧制明倫中学跡説明板
臼井台実蔵院旧制明倫中学跡説明板
これに拠れば、明治36年(1903年)に実蔵院住職が中等教育を行う明倫学校を創立、大正15年(1926年)に中学校と同等の資格を得て、翌年に明倫中学と改称、昭和17年閉校。

本堂

臼井台実蔵院本堂
臼井台実蔵院本堂
臼井台実蔵院本堂扁額
臼井台実蔵院本堂扁額
扁額は「大澤山」。

大きな地蔵像

臼井台実蔵院地蔵像2基臼井台実蔵院左地蔵像一部
臼井台実蔵院地蔵像
左の地蔵像は、衣服の前面下部に文字がありますが、断片的にしか読めません。

59番大師堂

臼井台実蔵院59番大師堂
臼井台実蔵院59番大師堂

弘法大師一千遠忌供養塔

大師堂の左側に弘法大師一千遠忌供養塔です。

弘法大師一千遠忌供養塔正面左面弘法大師一千遠忌供養塔右面背面
弘法大師一千遠忌供養塔
弘法大師一千遠忌供養塔右面背面拡大
弘法大師一千遠忌供養塔右面背面拡大
正面「弘法大師一千遠忌」、左面「天保五年歳次甲午 春三月二十有一日」、背面の文章の末尾上部「天保六年乙未三月」、台座に名字付き男性名多数。なお、弘法大師空海の一千忌年は1834年(天保5年)になります。

宝篋印塔

大師堂の右側に宝篋印塔です。

臼井台実蔵院宝篋印塔
臼井台実蔵院宝篋印塔
台座には「宝〓戊寅年 〓月吉日」とありました。(宝〓戊寅年=宝暦8年=1758年)

小竹山皆照院興隆寺

本堂の左横、大師堂の右側に、「小竹山皆照院興隆寺」と題する、納骨堂みたいなお堂がありました。

臼井台実蔵院境内の小竹山皆照院興隆寺
臼井台実蔵院境内の小竹山皆照院興隆寺
詳細は不明です。
それでは、次へ参ります。参道を戻って南へ、坂上の三叉路は左にカーブすると、すぐ次の丁字路で、
佐倉市臼井台の旧佐倉街道丁字路
佐倉市臼井台の旧佐倉街道丁字路
旧佐倉街道に合流します。この丁字路の北側に、道標がありました。

臼井台旧佐倉街道道標

臼井台旧佐倉街道道標正面左面
臼井台旧佐倉街道道標正面左面
臼井台旧佐倉街道道標正面右面臼井台旧佐倉街道道標背面
臼井台旧佐倉街道道標
道標の正面(南面)「右成田みち」、右面「左江戸みち」、左面「西さく〓道」、背面「文化〓丙寅年…」。(文化〓丙寅年=文化3年=1806年)
この丁字路は右折(南行)し、徐々に坂を下って、平地に出ると、
臼井台旧佐倉街道国道296号合流点近く
臼井台旧佐倉街道国道296号合流点近く
手繰川の東側で、旧佐倉街道は国道296号に合流します。

次回は、畔田の正光寺(60番)

次回は、畔田の正光寺に参ります。国道を南へ渡って手繰川右岸の道を上流(南)へ進みます。