千葉寺十善講&六崎組十善講八十八ヶ所巡拝 鹿渡の善光寺(千68番&六72番)

(令和6年4月14日その2)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、栗山の蓮花寺(千67番&六85番)の次は、鹿渡(しかわたし)の善光寺(千68番&六72番)に参ります。
蓮花寺から右(東)へ、JR総武本線栗山踏切を渡ってすぐ右折、線路沿いに進んでのK字路を10時の方向(南やや東寄り)に折れて、鹿渡地区の北端に入りました。
そこから同地区の東側、谷津田の西縁の道を南へ進みます。途中で、四街道駅と山梨地区とを結ぶ道路に出ますが、

四街道市鹿渡から山梨への道に出る
四街道市鹿渡から山梨への道に出る
そのまま横断直進します。少し進んでの丁字路、
鹿渡善光寺南の谷津田道丁字路
鹿渡善光寺南の谷津田道丁字路
右に入ります。次の十字路、
鹿渡善光寺南の十字路
鹿渡善光寺南の十字路
直進、すぐの二股三叉路、
鹿渡善光寺南の三叉路
鹿渡善光寺南の三叉路
右へ曲がると、その先が善光寺です。
鹿渡善光寺前
鹿渡善光寺前

鹿渡の善光寺

真言宗豊山派、善光寺、四街道市鹿渡334番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所68番。
六崎組十善講八十八ヶ所72番。(福寿院)
門前十字路の右前に三山供養塔群、十字路を北に参道を進んで石柱門、門入って右に六地蔵ではなくて六観音、参道の奥に本堂、本堂左前に石仏2躯、本堂右前に修行大師像、この本堂前スペースの右手一段高いところ、修行大師像寄りに68番大師堂、六観音寄りに72番大師堂です。

石柱門

鹿渡善光寺石柱門
鹿渡善光寺石柱門
山号は後光山。

六観音

鹿渡善光寺六観音
鹿渡善光寺六観音
説明標柱の正面「四街道市指定文化財 善光寺石造六観世音菩薩立像」。
鹿渡善光寺六観音説明標柱背面
鹿渡善光寺六観音説明標柱背面
これに拠れば、六観音は、参道(左)側から順に、聖、千手、馬頭、十一面、准胝、如意輪の観世音菩薩。

本堂

鹿渡善光寺本堂
鹿渡善光寺本堂
鹿渡善光寺本堂扁額
鹿渡善光寺本堂扁額
扁額は「後光山」と「善光寺」の2枚。

本堂左前の石仏2躯

鹿渡善光寺本堂左前石仏
鹿渡善光寺本堂左前石仏
鹿渡善光寺本堂左前石仏左台座鹿渡善光寺本堂左前石仏右台座
鹿渡善光寺本堂左前石仏台座
両方とも、故人の菩提のために建立されたのでしょう。左の台座には「正徳六丙申天」、右の台座には「元禄二己巳年」とあります。(正徳6年=1716年、元禄2年=1689年)

境内東側

鹿渡善光寺境内東側
鹿渡善光寺境内東側

修行大師像

鹿渡善光寺修行大師像
鹿渡善光寺修行大師像

68番大師堂

鹿渡善光寺68番大師堂
鹿渡善光寺68番大師堂
鹿渡善光寺68番御詠歌額
鹿渡善光寺68番御詠歌額
御詠歌額は、「六十八番」、68番御詠歌、「千葉寺」。
鹿渡善光寺68番大師像台座など
鹿渡善光寺68番大師像台座など
台座に「四國六拾八番」、その下には、千葉寺の紙の他に、六崎組の紙も供えてあります。六崎組十善講の古い記録にも、鹿渡の68番が、かけ番と記されています。

72番大師堂

鹿渡善光寺72番大師堂
鹿渡善光寺72番大師堂
鹿渡善光寺72番御詠歌額
鹿渡善光寺72番御詠歌額
御詠歌額は、「七十二番」、72番御詠歌、「鏡宝寺」。古い文字がかすれてきたので、新たに書いたようです。
鹿渡善光寺72番大師像台座など
鹿渡善光寺72番大師像台座など
台座に「當村大師講中」、六崎組の紙だけ供えてあります。なお、六崎組の古い記録では「福寿院」とされていて、これは鹿渡香取神社の別当寺( 廃寺 )を指します。
石柱門から退出して、三山供養塔群に廻ります。

三山供養塔群

鹿渡善光寺三山供養塔群前
鹿渡善光寺三山供養塔群前
供養塔群の右前、一段低いところに移転記念碑のようなものがあります。
鹿渡善光寺三山供養塔群移転記念碑
鹿渡善光寺三山供養塔群移転記念碑
これに拠れば、元は「午コロ作1091番地」にあったようですが、鹿渡1091番地だとすれば、結構遠いですよ。
鹿渡善光寺三山供養塔群
鹿渡善光寺三山供養塔群
さて、この中から、
鹿渡善光寺三山供養塔群前列右3・4番目鹿渡善光寺三山供養塔群前列右端
鹿渡善光寺三山供養塔群前列右側
前列右端の供養塔( 上では右の写真 )、正面中央上部は種字に「湯殿山」、その下左右に「月山 羽黒山」、右面「文政三庚辰 二月八日」、その隣の隣の供養塔、正面上部は大きな種字に「湯殿〓」、その左右に「月〓 羽黒山」、右面「弘化五戊申二月吉日」、その左隣の供養塔、正面中央は種字に「湯殿山」、その左右「月山 羽黒山」、右面「文〓九壬申載二月」。(文政3年=1820年、弘化5年=1848年、文〓9壬申年=文化9年=1812年)
それでは、次へと、三山供養塔群から道に戻って、石柱門を向いてから、その前にある十字路を右へ、坂を上りつつ道なりに左に折れて、その坂上で、左手に石塔石仏群がありました。

坂上石塔石仏群

鹿渡善光寺坂上石塔石仏群
鹿渡善光寺坂上石塔石仏群
鹿渡善光寺坂上石塔石仏群右側
鹿渡善光寺坂上石塔石仏群右側
この中から、
鹿渡善光寺坂上石塔石仏群後方右2列目鹿渡善光寺坂上石塔石仏群後方右1列目
鹿渡善光寺坂上石塔石仏群後方右側
右2列目の後ろから2番目( 上では左の写真前 )の石仏は、中央最上部に種字、右「天明二寅十月十九日」、その後ろの石仏は、右「天保六乙未年二月吉日」、左「十九夜女人講中」、右端後ろから3番目( 上では左の写真前 )の石仏は、右「天保十一〓子二月吉日」、左「秩父三十四番」、その後ろの石仏は、右「文化十酉天」、左「閏十一月吉日」。(天明2年=1782年、天保6年=1835年)
この石塔石仏群の右隣に、地蔵堂があります。
鹿渡善光寺坂上地蔵堂
鹿渡善光寺坂上地蔵堂
この石塔石仏群のところの丁字路、
鹿渡善光寺坂上入口
鹿渡善光寺坂上入口
写真の左から右に、左折します。

次回は、鹿渡の香取神社&和良比三才の大師堂(千番外)

次回は、鹿渡の香取神社に寄り道した後、和良比三才の大師堂に参ります。