(令和6年4月10日その3)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、佐倉市吉見野田の熊野神社&大師堂(千62番&六41番&六71番)の次は、四街道市内黒田(うちくろだ)の西光院(千63番)に参ります。
野田区民館から道路に出て左に切り返します。道なりに進むと、二股三叉路で往路に合流、右に熊野神社を見て、またゆるゆる進んで、千葉県道64号千葉臼井印西線との丁字路まで戻ってきました。ここは右折(北行)、すぐの生谷交差点を左折します。しばらくすると下り坂になりまして、その坂下の十字路、ここは左折です。因に、直進すると坂を上って右に畔田の正光寺(千60番&六45番)です。
それからしばらく、手繰川谷津田東縁の道を南へ進みます。佐倉市生谷と四街道市内黒田の境になる丁字路、直進して谷津田を横断し、次の十字路、ここで左折し、林の中の坂を上ります。その途中、左に庚申塔が1基ありました。
内黒田大谷の萬延元年庚申塔
四街道市の指定文化財だそうです。正面の中央「庚申塔」、その左右「萬延元庚申年 十一月吉日」、左面「左 あぜた 下志づ 道」、右面「右 をぼかや さくら 道」。(万延元年=1860年) をぼかや、って生谷(おぶかい)ですね。ここは、元々は二股三叉路でしたが、庚申塔右面方向は、ほぼ廃道という感じです。さて、坂を上りきります。坂上の二股三叉路、ここは右へ、次の左丁字路、右が西光院入口となります。
内黒田の西光院
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
千葉寺十善講八十八ヶ所63番。
なお、内黒田地区には六崎組十善講八十八ヶ所番外札所がある/あったそうですが、何処かは把握していません。入口の右に地蔵像と大師堂、入口から進んで、左に石塔石仏群と墓地、さらに右に建物、奥に63番大師堂です。
入口の地蔵像と大師堂
右に新旧の地蔵像、左の祠は大師堂です。手前にある、像の無い台座正面の中央「當村女人講中」、その左右「安永四未天 三月〓日」。(安永4年=1775年)
境内その1
石塔石仏群
この中から、東側を前、西側を後ろとして、最後列、右端の石塔は、正面最上部に種字、その下「秩父三十四番供養塔」、右面「嘉永七甲寅八月吉日」、その左の石塔は、正面上部に仏像、その下「〓國供養〓」、〓國の左右に「秩父 〓東」、右下「女人同行十二人」、右面「弘化二乙巳十一月吉日」。(嘉永7年=1854年、弘化2年=1845年)最後列左端の石塔は、正面の中央「奉供養大乘妙典日本回國」、左右上部「天下泰平 日月清明」、右下「安永六丁酉天」、左下「行者〓藤三良左衛門」で六十六部供養塔、その右の石仏は、右「文化十四丁丑年」、左「十一月十九日」です。(文化14年=1817年)
63番大師堂
御詠歌額の冒頭は「第六十三番 内黒田 西光院」。
境内その2
それでは、次へ参ります。入口に戻りまして、ここは直進して、奥の丁字路を右折、後は道なりで進み、左カーブ右カーブして、それから団地造成された池花地区に入るところ、左手に石塔石仏群がありました。石塔石仏群の先には内黒田自治会館があります。
内黒田自治会館北の石塔石仏群
右(南)の3基、先に右から2番目( この写真の中央 )の庚申塔は、中央最上部に種字、左右「元禄元年 戊辰十月廿一日」。(元禄元年=1688年) 右端の石塔は、正面の右「天保九〓…吉日」(〓は戊か戌)、正面中央「南…村」、左右面にも文字を認めて、道標っぽい。(天保9年=1838年)
左奥の馬頭観音、正面中央は馬の頭に「馬頭觀世音」、右「尾花栗毛五才牝馬」、左「大正四年五月六日斃ル」。(大正4年=1915年)
次回は、物井の円福寺(千64番&千65番&千66番)
次回は、物井の円福寺に参ります。内黒田自治会館から南の信号交差点まで進んで左折します。