印西大師・印西地区の大師堂巡拝 七次(白井市根)の長楽寺(82番、白井大師12番)

(令和5年7月6日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、七次(白井市根)の大日神社に寄り道の次は、七次(白井市根)の長楽寺(82番、白井大師12番)に参ります。
長楽寺は大日神社の隣で、神社境内から寺の建物も見えます。

七次大日神社境内から長楽寺方向
七次大日神社境内から長楽寺方向
両者の間には道路があって、その道路の先には宝幼稚園があります。
七次大日神社と長楽寺の間
七次大日神社と長楽寺の間
この写真の左が大日神社で、その道路際階段の右上にある石仏は、前回記事の末尾で取り上げた廿三夜塔です。一方、右が長楽寺ですが、この写真で屋根が全部見えているのは鐘楼で、本堂はその右です。

七次(白井市根)の長楽寺

天台宗、長樂寺、白井市根1386番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師82番。
白井大師12番。
参道から階段を上って石柱門、門の先参道真っ直ぐに本堂、本堂の左横に82番大師堂、大師堂の左に石塔石仏群があります。

七次長楽寺入口
七次長楽寺入口
山号は七宝山、院号は灌頂院。

石柱門

七次長楽寺石柱門
七次長楽寺石柱門

本堂

七次長楽寺本堂
七次長楽寺本堂
七次長楽寺本堂扁額
七次長楽寺本堂扁額

82番大師堂

82番大師堂
82番大師堂
印西大師82番番号札
印西大師82番番号札
82番大師堂奉納額
82番大師堂奉納額
82番大師堂御詠歌額
82番大師堂御詠歌額
82番御詠歌を想定すれば、影のすぐ側の所に「〓んぎや〓 のこ〓」(勤行の声)が読めます。
印西大師の明治初期の史料では、82番札所は、笠神(印西市笠神)の、はらのとう(原ノ堂)となっています。一方で、当地七次には番外札所として、くわんぜういん(観世院)の名がありますが、漢字の推定については異議有り。観世(くゎんぜ)ではなく灌頂(くゎんぢゃう)で、つまり灌頂院長楽寺の事でしょう。現代仮名遣い(≒発音)「かんじょういん」という言葉を耳で聞いて、僧侶でも知識人でもない一般人がどう表記するか、という事でしょうか。

石塔石仏群

七次長楽寺石塔石仏群
七次長楽寺石塔石仏群
最前列左から3番目の真新しい庚申塔は平成28年(2016年)のものです。その右は、
七次長楽寺弘法大師供養塔正面左面七次長楽寺弘法大師供養塔正面右面
七次長楽寺弘法大師供養塔
弘法大師供養塔で、正面「南無大師遍照金剛」、右面の右上「明治廿三年寅」、下「七次村 〓〓〓村 所沢村」、左面の上「三月廿一日」、下「野口村 風間村 白井新田」とあります。(明治23年=1890年) 根村ではなく七次村・風間村(これは中木戸新田の意)・白井新田、木村ではなく所沢村・野口村とあるのが興味深い。
一方、左端には、
七次長楽寺石塔石仏群左前
七次長楽寺石塔石仏群左前
平成庚申塔の左隣でこの写真の右前の石塔は、正面の最上部に種字、その下「十九夜觀世音供養」、右面「天保三壬辰年三月」、その左後ろ(2列目左端)の石仏は、中央最上部に種字、右「奉造立十九夜尊」、左「文化八辛未二月十〓日」とあります。(天保3年=1832年、文化8年=1811年)
弘法大師供養塔の右後ろ、
七次長楽寺石塔石仏群2列目右
七次長楽寺石塔石仏群2列目右
この写真の右(2列目右端)の石仏は、中央最上部に種字、右「奉造立十九夜尊二世安樂所」、左「正徳五〓未十月吉祥日」、左面「七次村」、その左隣の石仏は、中央「奉造立十九夜觀世音」、その左「明和六年 」、左下「七次村」とあります。(正徳3年=1715年、明和6年=1769年)
後方5-6列目は庚申塔です。
七次長楽寺庚申塔群
七次長楽寺庚申塔群
七次長楽寺庚申塔群右前方七次長楽寺庚申塔群右後方
七次長楽寺庚申塔群縦写真
最後列左から、正面「青面金剛王」、右面「天保十己亥年」、その右は、右面「嘉永三戌年十月吉日」、その右は、正面「青面金剛王」、右面「寛政十二庚申十一月吉日」、その前列の左から2番目は、正面「青面金剛王」、右面「文化八未十一月日」、左から4番目は、正面「青面金剛王」、右面「文政十丁亥年十一月吉日」とあります。(嘉永3年=1850年、寛政12年=1800年、文政10年=1827年)
それでは、次へ参ります。長楽寺・大日神社前の道に出て左(北)に進むと、すぐに三叉路に突き当たります。
七次長楽寺東三叉路
七次長楽寺東三叉路
ここを左折すると、左コーナーに白井市消防団第二分団七次の倉庫があります。
白井市消防団第二分団七次倉庫
白井市消防団第二分団七次倉庫
すぐの三叉路を右に入ります。

次回は、中木戸(白井市根)の来迎寺壺良毛別院(13番、白井大師4番)

次回は、中木戸(白井市根)の来迎寺壺良毛別院(13番、白井大師4番)に参ります。