(令和5年7月6日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、本日は、ちょっとした空き時間を使って、少しだけ廻ります。最初の目標は、七次(ななつぎ)(白井市根)の大日神社と長楽寺(82番、白井大師12番)です。
出発地点は、北総鉄道北総線の西白井駅です。写真撮影時刻は13時14分。駅から北(写真の奥)に進み、駅前ロータリーからの突き当たり三叉路、写真の奥の信号交差点を右折(東行)します。しばらくすると、住宅街が終わって道幅が狭くなりますが、なおも直進して、その先の突き当たり三叉路、この写真の左から来て、奥の方へ左折します。そこから神崎川の谷津田左岸を北(下流方向)にゆるゆる進むと、左手に大日神社が現れます。大日神社の北隣に長楽寺がありますが、先に大日神社に参ります。
七次(白井市根)の大日神社
大日神社、白井市根1388番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
道路に直交する参道を進んで鳥居、その先に拝殿、社殿の周囲に摂末社、特に社殿の右に天神八幡神社、社殿の左に大日如来の石塔、道路際入口右に説明板、境内の隅っこに石塔石仏があります。なお、大師堂は見当たりません。
説明板
これに拠れば、ご祭神は天照坐皇大御神、延宝5年(1677年)七次村に鎮座。明治8年(1875年)に、七次村七次新田、中木戸新田、白井木戸新田、軽井沢新田が合併して根村になった。
その後、明治22年に軽井沢新田(→鎌ケ谷村軽井沢)を除く根村が、他の村・新田と合併して白井村となり、谷清村との組合村(白井村谷清村組合村)を構成。大正2年(1913年)に組合村廃止で、白井村は単独の村になっています。
さて、天照皇大神をご祭神とする神社は、その多くは神明社・神明神社を名乗り、大日(だいにち)神社を名乗る神社は、極めて希です。
入口左庚申塔
入口の左に庚申塔があります。庚申塔の正面「庚申塔」、右面「萬延元庚申歳十二月吉日」とあるようです。(万延元年=1860年)
手水鉢
手水鉢には、「天保五甲午年 十二月吉日」とあります。(天保5年=1834年)
鳥居
鳥居には「慶應二丙寅歳九月吉日」とあります。(慶応2年=1866年)
拝殿
本殿
大日如来石塔
拝殿の左にあるこの建物、中に大日如来の石塔が3基あります。3基とも、中央は最上部に種字、その下「大日如來」、右の石塔では名号の左右に「寛政五丑年 二月吉日」とあります。(寛政5年=1793年)
神社において、仏教的な石塔を、屋根を付けて保護するのも、この辺りでは少数派ですし、ここ大日神社でも、他の石仏は野ざらしです。明らかに特別扱いです。想像するに、もともとこの神社は、大日如来を祀っていたのではないでしょうか。神仏分離によって、祭神は天照皇大神に変更になったものの、神社名に大日の名は残ったのでは。
摂末社
天神八幡神社
これに拠れば、ご祭神は、菅原道真公と八幡(名馬生食)。七次村(根)字八幡にあったものを、大正2年に大日神社に合祀。宇治川合戦先陣争いで有名な生食(いけずき)は葛飾郡産で、この辺りにも現れて、八幡神の使いとされたという。
境内北石塔石仏群
この中から、左端の三山供養塔は、中央最上部に種字、その下「湯殿山供養塔」、その左右「月山 羽黒山」、右面「文久二戌十一月吉日」とあります。(文久2年=1862年)こちらの三山供養塔、正面は上の供養塔に同じで、左右面「天保十五辰年 十一月吉日」とあります。この写真左(全体で左5番目、右3番目)の石仏は、中央最上部に種字、右「奉供養羽黒山諸願成就」、左「明和九壬辰天十一月吉日 七次」、その右隣の石塔は、左「文政十亥天二月吉日」とあります。(明和9年=1772年、文政10年=1827年)
境内東北東石仏
こちらの石仏は、中央最上部に種字、右「奉納廿三夜諸願成就」、左「明和九壬辰十一月吉日 七次」とあります。
次回は、七次の長楽寺(82番、白井大師12番)
次回は、隣の長楽寺(82番、白井大師12番)に参ります。