(令和5年7月6日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、中木戸(白井市根)の来迎寺壺良毛別院(13番、白井大師4番)の次は、中木戸(白井市根)の諏訪神社に寄り道します。
別院境内を出て右の風間街道に出ます。その突き当たり三叉路、左折の前に、この写真の奥から来て、写真右へ行く予定ですが、写真左の角に石仏があります。
中木戸風間街道の石仏
石仏の右面「南鎌〓谷 明治廿七年四月」、左面「北富塚」、背面「東七津木」とあって、道標を兼ねた子安さんです。(明治27年=1894年)
そして、南へ行くと、諏訪神社の入口です。
中木戸(白井市根)の諏訪神社
諏訪神社、白井市根1789番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
風間街道に面した入口から参道直ぐに鳥居、鳥居の先参道真っ直ぐに拝殿、参道の左に石塔石仏が散在、参道右奥目と、風間街道入口南側にも石塔石仏群があります。なお、大師堂は見当たりません。
風間街道側石塔石仏群
この写真の鳥居は摂末社の鳥居です。ここの石塔石仏群の内、最も南(右)側の庚申塔は、正面「青面金剛王」、左右面「文化四丁卯年 十一月吉日」、その左隣の庚申塔は、正面「青面金剛王」、左右面「文久元〓酉年 十〓月吉日」とあります。(文化4年=1807年、文久元年=1861年)ここの南(右)から5番目の文字庚申塔は、正面「青面金剛王」、左右面「文政九戌歳 十一月吉日」、その左隣の庚申塔は、正面の下左右「享保二丁酉〓 十一月吉日」とあります。(文政9年=1826年、享保2年=1717年)
鳥居
参道左石塔石仏群
この中からはひとつだけ、この石塔は、正面の中央「大日如来」、右「文化八未十一月吉日」とあります。
参道右奥石塔石仏群
この中の右から3番目の石仏は、
これは庚申塔ですよね、青面金剛王像がなんかスゴイ。左面に「文政三辰年十一月吉日」とあります。 この写真の右(この群の右から5番目)の石仏は、右「もとやま講中」、左「天保十二丑十月吉日」、その左隣の石塔は、正面の最上部「月山 湯殿山 羽黒山」、その下「三山講中」、右面「文化八辛未年」とあり、台座には願主の名が苗字付で書かれています。(天保12年=1841年) この写真の右(この群の右から7番目)の石塔は、正面の中央「奉造立庚申供養」、その左右「貞享元甲子年 十月廿〓日」、その下には苗字付の名前が並び、左端の石仏は、右「奉待廿三夜二世安樂」、左「元禄十一寅年十一月廿三日」とあります。(貞享元年=1684年、元禄11年=1698年)