(令和5年6月25日その3)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、古谷(岩戸)の青竜堂(36番)などの次は、大廻(おおば)の竜淵寺(80番)に参る途中に、大廻の宗像神社に寄り道します。
青竜堂上の観音像・猿田彦神社から新道に出て左(西)に進み、次の横断歩道手前の三叉路、特別養護老人ホーム「印西晴山苑」の案内看板の通りに、これを右折します。その先、印西晴山苑を通過した後の三叉路、その先から左に延びる緑が、大廻の宗像神社の杜になります。三叉路を右折してすぐ左に参道です。ですが、その反対側、三叉路の右角に庚申塔があります。
大廻宗像神社参道向かいの庚申塔
右の庚申塔の正面「青面金剛王」、右面「寛政十二庚申十一月〓日」とあり、隣の大きな庚申塔の正面「庚申」、右面「文化六己巳年」、台座には講中の人の名前(苗字付き)があります。(寛政12年=1800年、文化6年=1809年)
改めて、宗像神社です。
大廻の宗像神社
宗像神社、印西市大廻536番地 。(千葉県の宗教法人名簿より)
参道を進んで鳥居、その先の参道真っ直ぐに拝殿、参道や社殿の周囲に摂末社です。社殿の左、道路際に石塔石仏群があります。なお、大師堂は見当たりません。
参道入口
鳥居
手水鉢
鳥居を入って右に手水鉢があります。手水鉢には「文化十三 九月」とあるようです。
参道の摂末社
拝殿
本殿
石塔石仏群
社殿の左に、石塔群が見えます。道路に出て、石塔群の正面に回ります。まず、右(南)側4基から見ます。この中の右端の石塔は、正面「〓輪塔」(〓は日?、月?)、右面「文政二年星次己〓」、その左隣の石塔は、正面「月山 湯殿山 羽黒山」、右面「嘉永元申年十月吉日」、その左隣の石塔は、正面は剥落して不明、左右面「天保十二 十月」、その左隣の石塔は、正面「二十三夜塔」、左右面「安政五午年 十月吉日」とあります。(文政2年=1819年、嘉永元年=1848年、天保12年=1841年、安政5年=1858年)
そして、左(北)側の石塔石仏群9基ですが、まずは、その中の右(南)側の2基から、右端の石仏は、右「念佛供養塔」、左「天明四辰孟冬吉日」とあります。その左の石塔は、中央は種字に「奉納大乘妙典六十六部日本廻國塔」、その左右は、上「天下和順 日月〓明」、中「宝暦四甲戌天 十一月吉日」、下「願主大廻村 …」とあって、六十六部供養塔です。(天明4年=1784年、宝暦4年=1754年)
次いで、中程の3基は、この中の右側の石仏は、最上部に種字、その左右「奉造立 大日如来」、その左隣の石仏は、右「奉供養待念…安禾所」、左「享保七壬寅十月八日」、その左隣の石仏は、右「宝暦三癸酉十月八日」とあります。(享保7年=1722年)
最後に左(北)端の4基ですが、この中の右端の石仏は、右「奉供養〓〓念佛〓〓二世安樂所」、左「享保十一丙午〓十月八日 大廻古屋兩邑講中立之」とあって、大廻村と古屋村(現 岩戸字古谷)が並立しています。ここまでの「十月八日」付の石仏は、たぶん大日如来でしょうか。
左端3基は庚申塔です。その中で左から2番目の庚申塔は、中央から右へ「〓養庚申二世安樂所」、左「享保三戊戌十一月吉日」、左端の庚申塔は、中央「青面金剛尊」、その左右「宝暦七丁丑天 十一月吉日」、さらに右「大廻村」とあります。
次回は、大廻の墓地の大師堂&大廻の竜淵寺(80番)
次回は、大廻の墓地の大師堂、続けて、大廻の竜淵寺(80番)に参ります。石塔石仏群の前の道を南に進み、宗像神社入口近くの三叉路を左折します。