(令和5年6月25日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、大廻の宗像神社に寄り道の次は、大廻の墓地の大師堂、続けて、大廻の竜淵寺(80番)に参ります。
宗像神社の参道を出て左(、あるいは、神社の西にある石塔石仏群の前から南に進んで三叉路を左)に進みます。次の三叉路は、道なり気味に右折、その次の三叉路は道なり気味に左折、後も道なりで進み、下り坂に入る直前の交差点、竜淵寺へは左折ですが、その前に、坂の左にある墓地に入ります。墓地の入口に入って直ぐ左に大師堂があります。
大廻の墓地の大師堂
印西大師の明治初期の史料には、大廻の、ねんふつとう(念仏堂)が掛所と記されています。それと関係があるかもしれません。
大師堂前の石仏
この大師堂への参道左に石仏が幾つかあります。この写真の石仏は、ふたつ共に「十九夜」とあります。
大師堂横の光明真言供養塔
大師堂の右に、大きめの石塔があります。この石塔の正面中央「奉唱〓明眞言二百九拾萬辺供養塔」、台座正面中央「願〓」、その左右「大廻村 岩戸村 師戸村 鎌苅村〓 造谷村〓」とあります。
それでは、竜淵寺への道に戻ります。墓地を出て右折し、民家に入らないように道なりに進むと、左に折れるその向こうに、大師堂などがあります。
大廻の竜淵寺
曹洞宗、龍淵寺、印西市大廻322番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師80番。
角を左に曲がってすぐ右が入口で、入口の左に竜淵寺本堂、その隣に集会所、このスペースの右奥に印西市消防団第3分団第9部の倉庫、入口のすぐ左に80番大師堂があります。
入口
本堂
本堂の左には石塔石仏群があります。
石塔石仏群
この写真の右前の石仏は、右「十九夜」、左「文化〓辛未十一月」、その左隣の石仏は、右「尊者當村…」、左「〓世安樂也 正徳六申 三月吉日」、その左隣の石仏は、右「下総國印旛群印西大廻村新田」とあり、左は「月吉日」くらいしか読めません。(文化辛未年=文化8年=1811年、正徳6年=1716年)
80番大師堂
印西大師の明治初期の史料には、80番札所は、大廻の、おふばさま(大廻様)とあります。
集会所看板
冒頭は「大廻」だろう、その下はちょっと読めないが、正解を知っていれば読めるかも。
印西市消防団第3分団第9部倉庫
それでは、次へ参ります。来た道を返して、宗像神社前の三叉路も左に戻り、印旛晴山苑前を再度通過して、晴山苑の案内看板のある三叉路、ここを右折します。この先、道が右にカーブするところの三叉路、ここは旧道へ直進(左折)します。その旧道を約0.75km進んで、千葉県道64号と合流する二股三叉路、その股のところに石仏がありました。
岩戸北の二股三叉路の石仏
写真右の石仏は、右「〓供養〓回〓六十六〓納經」(ほんとか?)、左「享保元丙申十… 爲二世…」、台座「市場講中」、その左手前の石仏は、右「享保十〓丁未」、左「三月吉日」とあるようです。(享保1n丁未年=享保12年=1727年) 市場は、地理院地図にも記載がある、岩戸の集落の北東の小字でしょう。
そのまま県道64号を南に約0.3km進むと、右手に集会所と駐車場、その先に岩戸の宗像神社が現れます。
次回は、岩戸の宗像神社&岩戸の西福寺
次回は、岩戸の宗像神社に寄り道した後、岩戸の西福寺に参ります。