印西大師・印西地区の大師堂巡拝 続・平賀の来福寺(66番)&平賀古井戸の大師堂

(令和5年6月5日その3)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、平賀の来福寺(66番)の続きからはじめ、その後で平賀古井戸の大師堂に参ります。

平賀の来福寺

真言宗豊山派、来福寺、印西市平賀2146番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師66番。
門前の大師堂から、高台の薬師堂を廻り、本堂側へ下りてきました。

本堂

平賀来福寺本堂
平賀来福寺本堂
平賀来福寺本堂扁額
平賀来福寺本堂扁額

66番大師堂

本堂の右前に印西大師66番大師堂があります。

66番大師堂
66番大師堂
印西大師66番番号札
印西大師66番番号札
66番大師堂扁額
66番大師堂扁額

もうひとつの大師堂

印西大師66番大師堂よりも門側に、別の大師堂があります。

平賀来福寺境内のもうひとつの大師堂
平賀来福寺境内のもうひとつの大師堂

石碑石仏群

このふたつの大師堂に挟まれて、石碑石仏群があります。印西大師関連のものが多いのが特徴です。

平賀来福寺石碑石仏群
平賀来福寺石碑石仏群

印西新四国霊場記念碑

この中で最も大きいのが、印西新四国霊場記念碑です。

平賀来福寺印西新四国霊場記念碑
平賀来福寺印西新四国霊場記念碑
平賀来福寺印西新四国霊場記念碑碑文
平賀来福寺印西新四国霊場記念碑碑文
最上部には「印西巡行大師記念」、碑文は、

印西新四國靈場記念碑
印西新四國靈場以享保二年創建謂在昔笠神村南陽院臨唱輿平賀村來福寺頼如及師戸廣福寺宥傳諸師胥謀配置四國靈場之寫國内各地遍路巡拝營鎭護國家玉體安穏五穀豐饒諸人快樂祈願而其間雖經幾多變遷逐年信徒増員今也至以萬成算其盛容可以想見也恰好今歳會其創建二百二十一年以是奉迎弘法大師尊像壹體以充報恩謝德之微志云爾
別格本山護國寺貫首
權大僧正佐々木教純撰并書
昭和十二丁丑年六月吉祥日

とあります。(享保2年=1717年、昭和12年=1937年)

頼如供養塔

印西新四国霊場記念碑の左奥、背が高い石塔は、印西大師の開祖のひとりである来福寺頼如の供養塔です。

平賀来福寺頼如供養塔正面平賀来福寺頼如供養塔背面
平賀来福寺頼如供養塔
供養塔の正面は種字に「印西大師開祖頼如法印供養塔」、背面は「巡行紀念維時昭和拾貮年拾壹月吉日」とあります。

頼如供養地蔵塔

昭和の頼如供養塔の前に、地蔵塔がありますが、これには「權大〓都法印頼如」とあり、こちらも頼如供養塔です。

平賀来福寺頼如供養地蔵塔
平賀来福寺頼如供養地蔵塔

平賀来福寺門
平賀来福寺門
それでは、次へ参ります。来た道を戻りまして、(正確には角崎生活改善センターの東からショートカットして、)約0.6kmの地点、
印西市平賀古井戸への道その1
印西市平賀古井戸への道その1
この写真奥の三叉路を左折します。それから約0.2kmの三叉路、
印西市平賀古井戸への道その2
印西市平賀古井戸への道その2
ここを右折、そこから約0.26km、坂を上った後の突き当たり三叉路、
印西市平賀古井戸への道その3
印西市平賀古井戸への道その3
ここを左折、するとすぐに左に墓地が見えます。
印西市平賀古井戸への道その4
印西市平賀古井戸への道その4
すぐまた左折して、墓地に着きました。こちらに大師堂があります。
平賀古井戸の墓地前
平賀古井戸の墓地前

平賀古井戸の大師堂

平賀古井戸の大師堂
平賀古井戸の大師堂
このお堂の右に弘法大師、左には七夜観世音が祀られています。
平賀古井戸の大師堂右側
平賀古井戸の大師堂右側

平賀古井戸の大師堂側の六十六部供養塔

大師堂と向かい合う建物の右に、六十六部供養塔がありました。

平賀古井戸の大師堂側の六十六部供養塔の位置
平賀古井戸の大師堂側の六十六部供養塔の位置
平賀古井戸の大師堂側の六十六部供養塔
平賀古井戸の大師堂側の六十六部供養塔
供養塔の最上部に種字3字、その下に「奉納大乘妙典日本廻國」、その左右の上部「天下和〓 日月清明」、右下「印光山現住頼賢」、左下「施主 清〓敬白」とあるようです。

次回は、平賀の仁王尊

次回は、平賀の仁王尊に参ります。来た道を戻り、最初の三叉路は右折(北行)、次は直進できなくなったら左にカーブします。