(令和5年6月5日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、平賀花島山の大師堂の次は、平賀の来福寺(66番)に参ります。
既に来福寺の門前、角崎生活改善センターの前に来ています。
平賀の来福寺
真言宗豊山派、来福寺、印西市平賀2146番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師66番。
山号は印光山。大雑把なレイアウトは、門の前にお堂が二つ、その手前、角崎生活改善センターとの間に参道があって、そこから階段を上ると薬師堂、門の先は参道真直ぐに本堂、本堂へ至る参道の右に大師堂が二つ、大師堂の後方は墓地となっています。
先ずは門前から。
来福寺門前
角崎大師堂
二つのお堂のうち、右側、角崎生活改善センター側のお堂は角崎大師堂です。
薬師堂入口
角崎大師堂の右は、薬師堂への入口になります。参道階段下の右に手水舎、その右に木造薬師如来坐像の説明板、入口左に薬師堂改修記念之碑があります。
薬師堂改修記念之碑
これに拠れば、ここの薬師如来坐像は、弘安8年(1285年)、対蒙古(弘安の役)戦勝記念に、執権北条貞時の発願で、仏師賢光によって8月23日に開眼したものである。それを納める薬師堂は、印旛沼の灯台としても親しまれたという。
木造薬師如来坐像説明板
千葉県の指定重要文化財です。
www.pref.chiba.lg.jp
なお、現在は印西市立印旛歴史民俗資料館に保管されているとの事です。
手水鉢
手水鉢には、中央「奉納御〓前」、その右「宝暦六丙子天三月八日」、左「寒念佛講中」とあるようです。(宝暦6年=1756年)
参道階段
薬師堂
木造薬師如来坐像説明板
薬師堂の右前に、また説明板があります。こちらが本来?の説明板で、手水舎にあった説明板は、その新しいコピーのようです。
弘法大師供養塔
薬師堂の右後ろに、弘法大師供養塔が、立っている石塔2基に、倒れている石塔1基の、計3基あります。立っている供養塔の正面はいずれも「南無大師遍照金剛」、右の供養塔の右面「嘉永元戊申年」、左の供養塔の左面「大正八年九月廿一日建之」とあります。(嘉永元年=1848年、大正8年=1919年)倒れている供養塔には「南無遍照金剛」、「安永四〓未天六月二十一日」とあるようです。(安永4年=1775年)
薬師堂から本堂へ
さて、今度は下りるわけですが、先の階段、下りるのはおっかないな、と思っていたら、その右(本堂方向)に道らしきものを発見しました。この写真の左が階段で、右に落ち葉しかない空間がありますが、そこが道になっています。ダメもとで下りると、無事に本堂側、大師堂の後方に出てきました。
次回は、続・平賀の来福寺(66番)
次回は、来福寺(66番)の続きになります。