(令和5年6月25日その8)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、岩戸の広済寺の次は、岩戸の泉福寺(74番)に参ります。
既に泉福寺の前まで来ています。入口の右に、重要文化財泉福寺薬師堂入口の標柱があります。入口の左の標識塔は、この時点では気付かず。
岩戸の泉福寺
真言宗豊山派、泉福寺、印西市岩戸1671番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師74番。
入口から参道を進んで山門、山門の先真っ直ぐに本堂、山門入ってから左に折れると階段の上に広いスペースがあり、その中央奥めに薬師堂、このスペース入って左に泉福寺薬師堂説明板、右に番外大師堂、そこから右に進むと、小豆島八十八ヶ所巡拝の碑に修行大師像、74番大師堂、この大師堂の左・薬師堂の右に石塔石仏群(と古い墓石群)があります。なお、入口左の65番標識塔は帰りに紹介します。
山門
本堂
薬師堂参道
薬師堂説明板
これに拠れば、泉福寺が弘治2年(1556年)焼失その後再建で、薬師堂はその頃のものらしい。薬師堂は国の重要文化財です。
www.pref.chiba.lg.jp
薬師堂
印西大師の札所では、小倉の宝珠院観音堂(12番)、角田の栄福寺(65番)薬師堂に続く、3件目(全3件)の国指定重要文化財(建造物)になります。
石塔石仏群
石塔石仏群の中から、まずは中程にある観音経供養塔です。供養塔の正面の中央は種字に「奉誦〓觀音經一万巻供養塔」、その左右下部「平賀村 来福寺住頼〓法印」、左面の中央「現住泉福寺法印〓〓」、その右下「岩戸村西福寺」、右面中央「天明八戊申年二月吉日」、その右下「大廻村龍圓寺」などとあります。(天明8年=1788年)
それから、全体の右(東)端にある石塔から、この中の左端の石塔は、正面「普門品一万部供養塔」、左右面「嘉永元戊申年 十月吉祥」、その右の石塔は、正面「奉〓〓光明眞〓一百万辺供養塔」、左面「寛政八辰霜月吉日 現住泉福寺 音秀法印」とあります。(嘉永元年=1848年、寛政8年=1796年)
74番大師堂
小豆島八十八ヶ所巡拝の碑と修行大師像
最初は印西大師のマップかと思った。
番外大師堂
堂内には、奥に如来坐像、その前右に弘法大師像、左に別の大師像がありました。
手水鉢
ちょうど番外大師堂の前に手水鉢があります。手水鉢には、中央「奉納薬師如来御霊前」、その左右「享保十四己酉歳 九月初八日」、さらに右「〓當醫王山泉福寺住〓〓」とあるようです。(享保14年=1729年) ということは、山号は医王山でしょうか。
薬師堂境内
それで、次へと泉福寺を出て、入口にある標識塔に気付いたのでした。
65番甲山寺標識塔
標識塔の正面は最上部が欠けていて「十八ヶ所 〓山寺寫 六十五番」、右面「泉福寺現住 澄識」、左面は、本家四国八十八ヶ所74番甲山寺の御詠歌です。なぜ65番とあるのか不思議です。
そういえば、師戸の広福寺(33番&77番)にも、33番高福寺(雪蹊寺)を60番とする標識塔がありました。
次回は、岩戸の岩不動(86番)
次回は、岩戸の岩不動(86番)に参ります。泉福寺から道路に出て左に進み、坂を下っての三叉路も左折します。