印西大師・印西地区の大師堂巡拝 角田の栄福寺(65番)&熊野神社

(令和5年5月24日その8)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、造谷の宗像神社&造谷向辺田の大師堂の次は、角田(つのだ)の栄福寺(65番)と熊野神社に参ります。
既に、栄福寺の前に来ています。

角田栄福寺前(再掲)
角田栄福寺前(再掲)

角田の栄福寺

天台宗、栄福寺、印西市角田2番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師65番。
交差点の西側に、スロープから石柱門を経由して境内・本堂へとなります。それとは別に、交差点から道路を南西に進むと右手に、先ずは階段から熊野神社への参道、道路をも少し進んで右手に、階段から栄福寺薬師堂への参道があります。熊野神社参道の先には鳥居、参道右に栄福寺鐘楼、参道の奥に社殿、一方、薬師堂参道は、まず道路際参道右に薬師堂の説明板、参道の先に薬師堂、薬師堂の左前に65番大師堂、薬師堂の左後方にも別の大師堂があります。なお、薬師堂の右後方、一段高いところに神社の社殿となっています。

本堂

角田栄福寺本堂
角田栄福寺本堂

薬師堂参道

角田栄福寺薬師堂参道
角田栄福寺薬師堂参道

薬師堂説明板

角田栄福寺薬師堂説明板
角田栄福寺薬師堂説明板
これに拠れば、薬師堂は、文明4年(1472年)に完成した、国指定の重要文化財です。
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n111-015.htmlwww.pref.chiba.lg.jp
印西大師の札所には建築物の国指定重要文化財が3件ありますが、これは、小倉の宝珠院観音堂(12番)についで2番目に指定されたもので、建築時期はこちらの方が古いのですが、江戸期の改修のため造りや彩色に変更が入っています。

手水鉢

角田栄福寺薬師堂手水鉢
角田栄福寺薬師堂手水鉢
薬師堂参道の手水鉢です。いっぱい字が彫ってあるのですが、よくわからない。

薬師堂

角田栄福寺薬師堂正面
角田栄福寺薬師堂正面
角田栄福寺薬師堂向拝下
角田栄福寺薬師堂向拝下
角田栄福寺薬師堂右後方
角田栄福寺薬師堂右後方
角田栄福寺薬師堂左後方
角田栄福寺薬師堂左後方

薬師堂左後方の大師堂

角田栄福寺薬師堂左後方の大師堂
角田栄福寺薬師堂左後方の大師堂

65番大師堂

65番大師堂
65番大師堂
印西大師65番番号札
印西大師65番番号札
65番大師堂の堂内右には、左甚五郎一夜の作とする、ビンズル大師があります。
65番大師堂ビンズル大師
65番大師堂ビンズル大師

65番大師堂後方の石仏群

65番大師堂の真後ろに、石仏群があります。

角田栄福寺65番大師堂後方石仏群
角田栄福寺65番大師堂後方石仏群
その中で写真手前の、最も大師堂に近い石仏は、右「子安供養塔」、左「文化九〓年十一月吉〓」とあります。(文化9年=1812年)

薬師堂常夜灯

角田栄福寺薬師堂常夜灯左角田栄福寺薬師堂常夜灯右
角田栄福寺薬師堂常夜灯
左の常夜灯は、正面中央上部「御寳前」 、その左右「寛政十一年 未四月吉」、正面下部「別當 栄福寺 〓〓」とあり、おそらく右の常夜灯も同じです。(寛政11年=1799年) さて、ここで別当(別當)と書いた意味は、何でしょうか。
それでは、栄福寺境内中央の熊野神社にも参ります。

角田の熊野神社

熊野神社、印西市角田1番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

参道

角田熊野神社参道
角田熊野神社参道

手水鉢

角田熊野神社手水鉢
角田熊野神社手水鉢
手水鉢には「天保〓甲午年 九月吉日」とあります。(天保甲午年=天保5年=1834年)

鳥居

角田熊野神社鳥居
角田熊野神社鳥居

社殿

角田熊野神社社殿
角田熊野神社社殿

帰宅

今日はこれまでといたします。本日は、印西大師の現在の番付札所3ヶ所、それ以外の場所にある大師堂5ヶ所などに参りました。