(令和5年5月12日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、吉高の西の堂(19番)&吉高の岡の堂(52番)&吉高の浅間神社の次は、吉高の宗像神社に寄り道した後、吉高の迎福寺(53番)に参ります。
岡の堂から東に出てすぐ、右に曲がります。えっと、この写真での手前を右折すればよかったのですが、実際は奥の一本木のところで右折したので、結果こうなりました。そのまま進むと、神社の境内が見えてきます。吉高の宗像神社です。道自体は右に折れ、神社参道入口に出ます。そちらから寄り道します。
吉高の宗像神社
宗像神社、印西市吉高700番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)南に回り込むと、道が二股に別れるその間に参道があって、その先真直ぐに鳥居、鳥居の先も真直ぐに拝殿、社殿の周囲とりわけ西側に摂末社があります。なお、大師堂はありません。
鳥居
常夜灯
参道途中の常夜灯のうち、古そうなものについて。左側常夜灯の正面の中央「天照大日霊貴尊三夜〓」、その右「天御中主尊」、その左「〓弓尊」、左面「享和三癸亥年霜月吉日」、右面「天下大平子孫長久祈」、右側常夜灯の正面「常夜〓」、右面「文化十三丙子」、左面「十一月吉日」とあります。(享和3年=1803年、文化13年=1816年)
拝殿
本殿
摂末社
境内西側、少し高いところに、金毘羅神社と水神社があります。写真左の石祠が水神社で、右の金毘羅神社の扁額には「象頭山」とあります。
一方、本殿左後方には、左から、天満宮、稲荷神社、水神社があります。
それでは、次に参ります。参道を戻ってそのまま道路を南に進みます。次に右(西)から道が合流するポイントですが、まず、この写真左に大師堂が写っています。そして手前三叉路の右手前に石碑があります。三叉路に進んで振り返った所です。この石碑は、宗像神社の社号標でしょうか。
吉高宗像神社の社号標
石碑は「村社宗像神」まで読めます。
そして、大師堂の所まで進みます。
吉高宗像神社南の大師堂
印西大師の明治初期の史料には、吉高の、みかとう(美加堂)という掛所が、この辺りにあったようです。ここの大師堂との関連は不明です。
そして、この大師堂から神社へ数歩戻っての三叉路を右(東)に進みます。その先は、畑地から藪へ進み、坂を下りて、道が右に折れると、右手に迎福寺が現れます。
吉高の迎福寺
曹洞宗、迎福寺、印西市吉高549番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師53番。
六阿弥陀2番。
こちらから来た場合、まず、道路際に古い石仏が並び、その中に石柱門です。道路を進むと、また石柱門があって、その門の奥では新本堂の建築中でした。こちらの門から入って右側に大師堂があります。
門前の古い石仏
石柱門
新本堂
もうすぐ竣工でしょうか。
この新しい六地蔵の左後方に大師堂です。
53番大師堂
大師堂の右前に六阿弥陀2番の標識塔がありました。
六阿弥陀2番標識塔
標識塔正面の中央「六阿弥陀如来」、その右上「二番」、その右「嘉永四年」とあります。(嘉永4年=1851年) 何の六阿弥陀かは不明です。
帰宅
今日はこれまでとします。本日は、番付札所を7ヶ所、その他の場所にある大師堂3ヶ所などに参りました。
反省点としては、太陽の側に雲が多かった。