(令和5年6月25日その5)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、大廻の竜淵寺(80番)などの次は、岩戸の宗像神社に寄り道した後、岩戸の西福寺に参ります。
既に千葉県道64号の宗像神社北まで来ています。県道を南に進んでから反転します。入口は、西に入って右(北)になります。
岩戸の宗像神社
宗像神社、印西市岩戸1615番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
入口から参道真っ直ぐに鳥居、鳥居から参道真っ直ぐに拝殿、社殿の周囲に摂末社や石塔があり、社殿の裏手(北)に、集会所と、印西市消防団第11分団第10部の倉庫があります。なお、大師堂は見当たりません。
入口
鳥居
拝殿
摂末社と石塔
本殿
裏手
集会所看板
冒頭は「岩戸」だろう、その下はちょっと読めないが、正解を知っていれば読めるかも。
印西市消防団第11分団第10部倉庫
それでは、次へ参ります。県道64号に戻って右(南)に進みます。次の三叉路、西福寺の看板があるのでここを左に入る、その前に、三叉路を数メートル進んだ右に、お堂があります。
岩戸西福寺入口の大師堂
このお堂、大師像と子安像が安置され、さらに地蔵像もありました。
それでは、西福寺へ参ります。先の三叉路を東に入って進むと、西福寺です。
岩戸の西福寺
臨済宗妙心寺派、西福寺、印西市岩戸1508番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
まず石柱門、その先すぐに大師堂に突き当たり、その前右側に石塔石仏群、参道は左に折れて、その先に進むと本堂に至ります。
石柱門
大師堂
印西大師の明治初期の史料にも、岩戸の西福寺が掛所と記されています。
石塔石仏群
まずは右(門)側から、右端の石塔は中央「十九〓」(〓は夜?)、その左の石仏は、右「十九夜講」、左「宝暦十三未三月日」、その左の石仏は、右「安政六未〓月日」とあります。(宝暦13年=1763年、安政6年=1859年)
その左側は、この写真の右端(全体で右から4番目)の石仏は、右「文化四丁卯十一月」でしょうか、その左の石仏は、右「〓永五丙〓〓月吉日」と読みました。(文化4年=1807年、江戸時代の〓永5丙年=安永5年=1776年)
その左は六地蔵石塔です。この石塔の正面、右面、左面の各面に2体ずつの地蔵像を刻み、背面は「下総州印旛郡岩戸村金剛山西福禅寺現住… 于時天保三年壬辰四月吉祥日造立」などとあります。(天保3年=1832年) これから、西福寺の山号が金剛山だと判ります。
岩戸胤安之碑
大師堂の左に、岩戸胤安之碑がありました。全部は読んでいないですが、岩戸城主岩戸五郎胤安は千葉氏庶流である、…、岩戸城址に創建されたのが金剛山西福寺である、との事です。
大師堂から本堂へ
本堂
次回は、岩戸の高岳寺(32番)
次回は、岩戸の高岳寺(32番)などに参ります。参道を戻って、県道64号を左折(南行)します。