(令和6年3月27日その6)(同年4月10日そのN)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、青菅の称念寺(番外)&青菅の正福寺(番外)の次は、志津小学校青菅分校跡に寄り道します。
正福寺を出て左(西)へ道を戻りますと、道が左にカーブした後、十字路に出ます。ここを左折(東行)すると、すぐに左手に志津小学校青菅分校の旧校舎が見えます。
志津小学校青菅分校跡
千葉県佐倉市青菅148。(文化遺産オンラインWeb Siteより)
西側に出入り可能な所があります。入ってみると、西側に旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎、東側に青菅会館、その東奥に庚申塔群があります。
旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎
国に登録された、登録有形文化財です。
bunka.nii.ac.jp
青菅会館
桜咲く志津小学校青菅分校跡
令和6年4月10日撮影分です。この年のソメイヨシノは、東京で3月29日開花・4月4日満開、銚子で4月1日開花・4月7日満開でした。令和6年4月10日撮影分はここまで。
庚申塔群
庚申塔群は台上に集められていますが、一つだけ台の前にあるのは二十三夜塔でした。その正面の中央「廿三夜塔青菅區講中」、右「東〓〓臼井道」、左「明治廿二年九月」、左面「南井野上座道」右面「北下高野米本道」、背面「西上高野村上道 西斜〓井野…」で道標を兼ねています。(明治22年=1889年)
庚申塔の中では、左の写真の庚申塔は、正面「庚申塔」、右面「文政九戌歳霜月」、左面「青菅村講中」、右の庚申塔は、正面「庚申塔」、右面「享和三亥歳十一月〓〓日」。(文政9年=1826年、享和3年=1803年) 左面は下の写真から読んだ。こちらは、正面「庚申塔」、左面「弘化五申年 如月」。(弘化5年=1848年)こちらは、中央最上部に種字、左右上部「寛保四子年 正月吉日」、左右中部「青菅邑中 願主設楽氏」。(寛保4年=1744年)
さて、分校跡を東に出てから反転します。そのまま西へ、分校跡を通過して例の十字路まで戻ります。この十字路を左折し、少し坂を上ると、右手に稲荷神社となります。
次回は、青菅の稲荷神社
次回は、青菅の稲荷神社に寄り道してから、井野の千手院(57番)を目指します。