(令和6年3月16日その7)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、横戸町下横戸の大師堂(薬師堂)(46番)&天王神社の次は、八千代市勝田の円福寺(47番)に参ります。
46番大師堂のある下横戸公会堂から東に進みます。すぐの交差点、ここは左(東)へ、すぐの十字路、右へ行くと横戸町上横戸の明星寺(45番)に至りますが、ここは直進(東行)、橋を渡っての突き当たり丁字路、右折します。すぐに道なり左折(東行)後、次の十字路、ここで左を向くと、円福寺はすぐそこです。
勝田の円福寺
真言宗豊山派、円福寺、八千代市勝田592番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所47番。道路が右に折れるところを左に直進すると入口、そこから参道真っ直ぐに本堂、参道途中右手に大般若経塔、宝篋印塔、47番大師堂、そして馬頭観音堂への上り階段参道、本堂の右に勝田区会館です。
大般若経塔
正面「大般若經全部 護摩佛〓 永代〓〓」、左面の右「文久三歳癸亥十月吉日」、右面の下部「智證山大聖寺三十三世住 安樂壽院 圓福寺住栄範代」。(文久3年=1863年) 智證山大聖寺は元宇那谷・現若松町にある大聖寺(44番)、安楽寿院は円福寺の院号でしょう。
宝篋印塔
境内
勝田区会館
本堂
扁額は「圓福寺」。
47番大師堂
こちらの大師像の台座は中央「遍照金剛」、その左右「天保八酉歳 十一月吉日」。(天保8年=1837年)
馬頭観音堂境内
階段を上って、馬頭観音堂のあるエリアへ。このエリアの階段から右奥に馬頭観音堂、左側に石塔石仏群です。
石塔石仏群
階段左すぐが子安塔群ですが、この中には十九夜塔もあります。この十九夜塔は、中央最上部に種字、右「奉造立十九夜講中」、左「享和三亥十一月吉日」。(享和3年=1803年)こちらは中央最上部に種字、右「奉造立十九夜講中」、左「天明八申十一月吉日」。(天明8年=1788年)
エリアの左奥には、子安塔以外の石塔石仏群です。その中の庚申塔2基、この写真の左は、中央最上部に種字、左右「文化七午年 四月日」、台座「願主勝田村中」。写真の右は、「安永九子二月吉日」。(文化7年=1810年、安永9年=1780年)こちらの写真は馬頭観音石塔です。左の馬頭観音は、中央「馬頭觀音」、その左右「嘉永二酉載 九月十八日」、写真中央の馬頭観音は、右「馬願觀世〓」?、左「寛政九巳十一月吉日」。(嘉永2年=1849年、寛政9年=1797年) なお、載は歳・年の意で、千載一遇は千年に一度(の好機)の事です。
馬頭観音堂
扁額は「馬頭観世音」。
それでは、次へ参ります。円福寺の入口を出て、左に切り返してそのまま坂を上ります。
次回は、佐倉市上志津の八幡神社
次回は、佐倉市上志津の西福寺(48番)への途中、上志津の八幡神社に寄り道します。