千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 東寺山町の大師堂(8番&14番)

(令和5年9月9日その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、作草部町の正善院(7番)の次は、東寺山町(ひがしてらやまちょう)の大師堂(8番&14番)に参ります。
正善院の北東角にある信号十字路から東に進み、国道16号との交差点まで来ています。

国道16号千葉市若葉区東寺山町の北西の交差点(再掲)
国道16号千葉市若葉区東寺山町の北西の交差点(再掲)
( 本当は右折後次の信号交差点を左折のほうが良かったのですが、)交差点を直進しました。直ぐの、道が左に少し折れる地点、
正善院から東寺山町大師堂への道その1
正善院から東寺山町大師堂への道その1
斜め右へ、木々の間に入っていきます。次の突き当り三叉路、
正善院から東寺山町大師堂への道その2
正善院から東寺山町大師堂への道その2
右です。それから道が左にカーブしての突き当り三叉路、
正善院から東寺山町大師堂への道その3
正善院から東寺山町大師堂への道その3
( 右だと国道16号との信号交差点ですが、)左です。すぐに、畑地から林の中に入る辺りで、左手に石碑やお堂が見えます。
東寺山町大師堂前
東寺山町大師堂前
この中に大師堂が2棟あります。

東寺山町の大師堂

千葉市若葉区東寺山町501番地。(当地の史碑より)
千葉寺十善講八十八ヶ所8番。(浅間不動堂)
千葉寺十善講八十八ヶ所14番。(円蔵院)
このスペースの奥にお堂が3棟あって、真ん中が8番大師堂、左(西)が14番大師堂、スペースの右には十九夜塔や無縁仏などの石仏群、それに史碑、スペースの左のうち道路側に三山供養塔群があります。ここは昔の寺やお堂の跡がそのまま利用されている訳ではない様です。

東寺山町大師堂など
東寺山町大師堂など

史碑

東寺山町大師堂など史碑
東寺山町大師堂など史碑
この碑文、ちょっと解釈が難しいのですが、これに拠れば、東寺山町315番地に集会所、14番大師堂、秩父参拝記念碑があった。昭和23年に原町・東寺山の連絡道路が建設されたので315番地に移った(のだ)。集会所が壊れたため東寺山町680番地に新築した。( おそらく14番大師堂なども移転した。) 浅間権現内にあった8番大師堂も680番地に移った。昭和58年にそれ(ら)を東寺山町501番地に移した。(昭和23年=1948年)
どうやらここが、東寺山町501番地のようです。浅間権現(浅間神社)がどこにあったか不明ですが、東寺山町には浅間(せんげん)という小字があり、それは今の出雲大社千葉総国講社がある辺りを含んでいたようです。その辺りであれば、千葉寺十善講八十八ヶ所の正善院(7番)と等覚寺(9番)を結ぶ昔の経路の途中にあったことになります。

石仏群

東寺山町大師堂石仏群史碑左隣
東寺山町大師堂石仏群史碑左隣
この写真中央の石仏( 史碑から2つ左隣 )は、中央に「丗〓番」とあって、なんとなく秩父三十四観音と関係している感じです。また、その右後ろの( たぶん馬頭観音の )石仏は、右「明和三戌二月吉」とあります。(明和3年=1766年)
東寺山町大師堂石仏群中程
東寺山町大師堂石仏群中程
この写真右の石仏( 史碑から3つ左隣 )は、上部が欠けていますが、右「世音為十九夜講中」、左「天十月」とあり、左の石仏は、右「奉納百番供養塔」、左「〓政二戌三月吉日」とあるようです。(〓政二戌はおそらく寛政2年=1790年)
東寺山町大師堂石仏群左側
東寺山町大師堂石仏群左側
この写真の右の石仏は、右「奉…九〓念佛…」、左「天和二壬戌年十月十九日敬白」、中央の石仏は、右「修十九夜念佛二世安樂所」、左「宝永五戊子十月十九日」、左の石仏は中央「奉造立」、右「寛政四壬子十月十九日」、左「爲現當二世安樂也」とあります。(天和2年=1682年、宝永5年=1708年)

8番大師堂

8番大師堂
8番大師堂
8番番号札と御詠歌額
8番番号札と御詠歌額

8番標識塔

8番大師堂の左に、8番標識塔があります。

8番標識塔左面背面8番標識塔正面左面
8番標識塔
標識塔の正面「四國八拾八ヶ所阿州熊」、左面「第八番」、背面「天保三辰五月吉日」とあります。(天保3年=1832年)

14番大師堂

14番大師堂
14番大師堂
14番番号札と御詠歌額
14番番号札と御詠歌額
14番大師像台座
14番大師像台座
台座には「天保三壬辰年 五月吉日」とあります。8番標識塔と同年ですね。

三山供養塔群

東寺山町大師堂三山供養塔群
東寺山町大師堂三山供養塔群
東寺山町大師堂三山供養塔群の碑
東寺山町大師堂三山供養塔群の碑
これに拠れば、元は東寺山町450番地にあったのを、東寺山町502番地に移した。碑は平成元年のもの。(平成元年=1989年)
東寺山町大師堂三山供養塔群最後列
東寺山町大師堂三山供養塔群最後列
供養塔群最後列の右の石塔は、正面の中央は種字に「湯殿山三山大權現」、その右は種字に「羽黒山」、その左も種字に「月山」、右面「文政十二丑十一月吉日」とあります。(文政12年=1829年)
東寺山町大師堂三山供養塔群最後列中央
東寺山町大師堂三山供養塔群最後列中央
さて、昭和58年まで大師堂などがあった東寺山町680番地に行ってみます。大師堂スペースから道路に出て右に少し進んで左になります。

東寺山集会場東明館

東寺山集会場東明館
東寺山集会場東明館
今は、東明館という名称の東寺山集会場だけが建っています。
東寺山集会場東明館看板
東寺山集会場東明館看板
それでは、次へ参ります。来た道を戻りますが、すぐの三叉路は直進して、そのまま国道16号との信号交差点(、この記事冒頭の交差点より南東にある別の交差点)に出ます。
国道16号千葉市若葉区東寺山町の南東の交差点
国道16号千葉市若葉区東寺山町の南東の交差点

次回は、高品町の等覚寺(9番)

次回は、高品町の等覚寺(9番)に参ります。先ほどの交差点、赤の時間が長いので左の歩道に逃げました。

更新履歴

2023年09月29日18時30分、初版公開
2023年09月29日18時50分頃、東寺山町大師堂前写真の差し換え。