(令和5年9月18日その5)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、大宮町の西光寺(番外)&安楽寺(番外)の次は、加曽利町(かそりちょう)の円蔵寺(番外)に参ります。
安楽寺本堂の右、境内北東から道路に出て左へ進みます。道なりで北へ進み、この三叉路は、左に、直ぐの五叉路は、直進して写真の中央奥へ、そこから道なりに下って、都川に架かる橋を渡り、直進して国道126号に突き当たります。ここは左(西)です。国道に出て約0.4kmで押ボタン式信号横断歩道がありますが、その先で斜め右に分岐する旧道( 小特・軽車両を除く進入禁止標識あり )に入ります。次の十字路で、右折すると左手に円蔵寺(番外)が現れます。
加曽利町の円蔵寺
天台宗、円蔵寺、千葉市若葉区加曽利町678番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
道路からわずかに左に分岐する参道はやがて階段になり、その先の平坦部から真っ直ぐに本堂、平坦部で左に入ると宝篋印塔、その奥に大師堂、大師堂の周囲に石仏群があります。山号は円空山(圓空山)。
なお、12%上り坂の道路をそのまま上っても、本堂の右奥に出られます。
境内
本堂
宝篋印塔
宝篋印塔の塔身( というのか、知らんかった )には、決まり文句の他に「寛政十戊午星九月十七日 如意山十三世現住法印英純 智舩 貫純」とあります。(寛政10年=1798年) 如意山とは、坂尾村(現千葉市若葉区大宮町)の栄福寺(番外)の事です。
大師堂
石仏群
まず、大師堂の左に散在する石仏からです。この石仏は、右「文化二年」、左「戌二月吉」とあり、うん?、文化2年(1805年)は丑年ですね、読めんかった。この石仏は、像形は大日如来像、上部やや右に「月山」とあるので、三山供養塔です。
続いて、大師堂右後方、六地蔵の左前の石仏から、この石仏は、右「白馬寺了暗善畜〓菩提」、右「寛政七卯九月十七日」とあります。
そして、十九夜塔群もありました。一番右の石仏は、右「奉納十九夜念佛」、左「保三癸亥天 十月十九日」、その左奥の石仏は、中央最上部に種字、右「奉造立如意輪觀世音菩薩」、左「寛政六甲寅十一月吉日」、左手前の石仏は、中央最上部に種字、右「奉造立十九夜」、左「于時天保十四卯〓月吉日」とあります。(〓保3癸亥年=寛保3年=1743年、天保14年=1843年)一番左の石仏は、右「〓念佛…〓享四天」、その右の石仏は、中央最上部に種字、その下「觀世音」、右「奉造立十九夜」、左「于時安永三天 甲午二月十九日」とあります。(〓享4年は字形から貞享4年=1687年か、または延享4年=1747年、安永3年=1774年)
帰宅
今日はこれまでとします。本日は、都川の本川支川沿い、大宮町と加曽利町の番外4ヶ所などに参りました。