(令和5年9月18日その2)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、大宮町の栄福寺(番外)の続きからになります。
大宮町の栄福寺
天台宗、栄福寺、千葉市若葉区大宮町3869番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
妙見地蔵堂改修記念碑の右の道を通って、墓地の方に近付いてみます。(墓地自体には入りません。) こちらには六地蔵がバラけて置かれていました。
妙見地蔵堂裏手六地蔵
この写真では、右奥が妙見地蔵堂背面です。この写真右の地蔵は、中央最上部に種字、右「南無剛悲地藏大菩薩坂尾村 宝永七〓 年」、左「六地藏念佛〓中爲二世安樂也 十一月廿九日」、左の地蔵は、中央最上部に種字、右「南無金剛幢地藏大菩薩坂尾村 宝永七〓〓年」、左「六地藏念佛〓中 二世安樂也 十一月廿九日」とあります。(宝永7年=1710年)この写真の左の地蔵は、中央最上部に種字、右「南無放光王地藏大菩薩 宝〓七〓年」、左「藏念佛〓中爲二世安樂也 十一月 坂尾村」とあります。この写真の地蔵は、6体1組の六地蔵ではないようで、右「奉造刻地藏大菩薩尊像壹軀 元禄…天」、左「〓縁講惣結衆二世安樂之所 〓〓三月」でしょうか。この写真右の地蔵は、右「南無金剛宝地藏大〓薩坂尾村 七〓年」、左「六地藏念佛〓中爲…安樂也 十一月廿九〓」、左の地蔵は、中央最上部に種字、右「南無金剛源地藏大菩薩坂尾村 宝永七〓〓年」、左「〓念佛〓中〓二世安樂也 十一月廿〓日」とあります。この写真左の地蔵は、右「南無〓天賀地藏大菩薩坂尾村 永七」、左「〓念佛〓中爲二世安樂也 十一月廿九日」とあります。
道を戻りまして、山門に近付いての左に、大師堂です。
大師堂
さて、山門を出て、舗装道出て右に折れますと、左手の小高い所に何かあります。
大宮栄福寺境外三山供養塔群
近付いてみますと、三山供養塔を集めたものでした。いちおう、山門・塀の外なので、栄福寺境外としましたが、栄福寺の駐車場と同じ敷地内のようです。この中の右後方の石仏石塔について、まず、この写真の石仏は、中央一段高く「湯殿山」、その左右「月山 羽黒」、左下「天明元丑十一月吉日」とあります。(天明元年=1781年)
その後ろの石塔2基は、両者とも正面最上部に種字、その下は「湯殿山」、その左右「月(山) 羽黒(山)」(手前の石塔は「山」が地中らしい)、後ろの石塔は正面の下に「供養塔」、手前の石塔の右面は「弘化五年申二月吉日」、 後ろの石塔の右面は「文政二卯年二月吉日」とあります。(弘化5年=1848年、文政2年=1819年)
それでは、次へ参ります。先ほどの道に戻って北西に進み、直ぐの突き当り三叉路で右折します。次の信号十字路、ここは左折ですが、その左角に祠がありますので、寄ってみます。
大宮町栄福寺北の弁才天・子安堂
まず、上の写真左にある木のまた左に、弁才天の祠があります。この祠の背後、金網の向こう側に、また別の祠があります。こちらは子安堂です。
さて、先の信号十字路左折の道を進みますと、県立千葉大宮高校の案内看板のある三叉路に出ます。この三叉路の右向こう側に、屋根付きで地蔵像が祀られています。その右手には墓地、墓地の向こう側は千葉市立千城小学校の校庭になります。
千葉市立千城小学校南の墓地入口の石仏群
まず、中央の地蔵像からみます。地蔵像の右「宝暦十辰年上坂尾村」、左「十一月廿四日念佛講中」とあります。(宝暦10年=1760年)
その背後の石仏のうち、この十九夜塔は、中央最上部に種字、その下「十九夜念佛結衆現當二世…」、その左右「延宝四丙辰年 〓〓吉日」とあります。(延宝4年=1676年)
これから2つ右隣の石塔ですが、これは墓石ですが、中央最上部に種字、その下「海道和尚」、その左右「文化十二亥五月三日」とあります。(文化12年=1815年)
次回は、大宮町の大宮神社
次回は、大宮町の西光寺(番外)へ移動する途中、大宮神社に寄り道します。地蔵のある三叉路は北西方向に進みます。