(令和5年9月18日その3)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、続・大宮町の栄福寺(番外)などの次は、大宮町の西光寺(番外)へ移動する途中、大宮神社に寄り道します。
県立千葉大宮高校への案内看板のある三叉路、その角、写真中央にある地蔵像などに参った後、写真の左(北西)に進みます。右手に、千葉市立千城小学校、千葉千城郵便局と過ぎて行った後、同じく右手に大宮神社が現れます。寄り道します。
大宮町の大宮神社
大宮神社、千葉市若葉区大宮町1113番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
道路の北側が一段高くなっていて、そこを階段で上って鳥居、鳥居の先参道が伸びて、参道途中右に「大宮神社記」という説明板、参道の先に拝殿、拝殿の右前に神楽殿、さらに前に「大宮神社社殿改築の記」の碑、社殿の左に摂末社群があります。なお、大師堂はありません。
鳥居
大宮神社記
これに拠れば、ご祭神は、天鈿女命、併せて、伊邪那岐命、伊邪那美命、大山咋命、玉依姫命、他9柱。創立年代は不詳。
常夜灯
左右の常夜灯ともに、正面「常夜燈」、台座正面「村中」、しかしながら、左の常夜灯には「村中」の間に「金三両壹分 下長」、右の常夜灯には「金三両壹分 上」とあります。左の常夜灯の背面「嘉永七年…」、右の常夜灯の背面「〓四月吉辰」(〓は夏?)とあります。(嘉永7年=1854年)これ、どちらの常夜灯の台座側面かは不明ですが、その右端に「下坂尾村」とあり、こちらには「上〓尾村」とあります。
手水鉢
手水鉢には「寛政十一己未年 八月吉日造之」とあります。(寛政11年=1799年)
狛犬
右の狛犬は、台座の正面「奉納御寳前」、左面(参道側)「文久元辛酉年 秋九月吉日」、左の狛犬は、台座の正面「長 上下 氏子中」とあります。(文久元年=1861年)
とまあ、この大宮神社は、上こと上坂尾村、下こと下坂尾村、そして長はたぶん長峯村?、の3ヶ村が氏子になっていたようです。この3ヶ村は今の大宮町( 含む大宮台 )に当たります。というか、大宮町の大宮は、ここ大宮神社から来ているようです。
大宮神社社殿改築の記
これに拠れば、日本道路公団に神社の土地1反9畝22歩(=1973.3平米)を売却したようです。これは千葉東金道路の用地でしょうから、ここより少し離れた場所にも神社の土地があったことになります。
神楽殿
拝殿
本殿
摂末社群
それでは、西光寺へ移動します。鳥居から道路に出て右(西)に進みますと、すぐに道が右カーブしています。実は左から複数の道が分岐しているのですが、本日は道なり右カーブします。ついで、左カーブしての十字路、ここで左折、その先で右手に、千葉市消防団第10分団1部器具置場と大師堂が現れます。ただまあ、手前右のスペースは、宅地分譲地ですので、数年内に住宅が建てられて、西光寺入口は見えなくなっているでしょう。
千葉市消防団第10分団1部器具置場と大師堂の間のスペースに入ります。
次回は、大宮町の西光寺(番外)&安楽寺(番外)
次回は、大宮町の西光寺(番外)、続けて、同じ大宮町の安楽寺(番外)に参ります。