印西大師・印西地区の大師堂巡拝 鎌苅の東祥寺(9番&40番)&鎌苅の鷲宮神社

(令和5年6月17日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、鎌苅の宗像神社&鎌苅不動堂の次は、鎌苅の東祥寺(9番&40番)と鷲宮神社に参ります。
既に東祥寺の門前の近くに来ていますが、少しだけ移動して、山門東の参道の端まで移動します。

東祥寺参道東端
東祥寺参道東端

鎌苅の東祥寺

曹洞宗、東祥寺、印西市鎌苅543番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師9番&40番。
この地点の右に「不許葷酒入山門」の石塔、ここから参道真直ぐに山門、山門の先の参道真直ぐに本堂、山門前の参道右に石塔石仏群があって、その奥に40番大師堂、さらに東側に鷲宮神社、山門の右に「夢大師」大師堂、本堂の左前方向に9番大師堂があります。

不許葷酒入山門

曹洞宗や臨済宗などの禅寺によくある石塔です。

鎌苅東祥寺不許葷酒入山門石塔
鎌苅東祥寺不許葷酒入山門石塔
石塔の正面「不許葷酒入山門」、左面「〓時文政八龍〓乙酉季春吉旦」とあります。(文政8年=1825年) この石塔のある地点から寺域が始まるはずです。
この石塔の反対側(左側)にも、石塔があります。

入口左の石塔

鎌苅東祥寺入口左石塔正面
鎌苅東祥寺入口左石塔正面
鎌苅東祥寺入口左石塔正面右面
鎌苅東祥寺入口左石塔正面右面
右の石塔は、正面「普門品供養塔」、右面「〓〓元甲子十一月日」とあるようです。(江戸時代の甲子年は必ず改元するので、〓〓元年の特定はできない。) 一方、左の石塔は、正面の中央「禾」、その左「日」のみ読めて、後は解読不能です。

寺の看板など

参道左側にある看板などです。

鎌苅東祥寺の看板など
鎌苅東祥寺の看板など
山号は大雄山。ここの掲示板の参道挟んで反対側に、印西地消防団第10分団第8部の倉庫があります。
その分団倉庫の西が鷲宮神社です。

鎌苅の鷲宮神社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
いちおう、分団倉庫の前が参道なのでしょうか。その先に鳥居、社殿が並び、社殿の周囲に摂末社です。

鳥居

鎌苅鷲宮神社鳥居
鎌苅鷲宮神社鳥居

社殿

鎌苅鷲宮神社社殿
鎌苅鷲宮神社社殿

摂末社

鎌苅鷲宮神社社殿右側摂末社
鎌苅鷲宮神社社殿右側摂末社
この写真、奥のお堂と社殿の間(さらに奥)に小さく、40番大師堂が見えます。
いったん、東祥寺の参道に戻ります。
鎌苅東祥寺参道
鎌苅東祥寺参道
山門の左、木々の向こうに、鎌苅地区構造改革センターがあります。

鎌苅地区構造改革センター

鎌苅地区構造改革センター看板
鎌苅地区構造改革センター看板

鎌苅の東祥寺(再開)

まだ山門に到達していませんが、参道の右側に石塔石仏群があり、その奥に40番大師堂です。

鎌苅東祥寺石塔石仏群
鎌苅東祥寺石塔石仏群

石塔石仏群東側

鎌苅東祥寺石塔石仏群東側
鎌苅東祥寺石塔石仏群東側
東側の石塔石仏群のうち、前列一番右の石仏は、中央上部「十九夜」、左上「女人講中」、左右「天明五乙巳年 十一月吉日」とあります。(天明5年=1785年)

40番大師堂

40番大師堂
40番大師堂
印西大師40番番号札
印西大師40番番号札
40番御詠歌額
40番御詠歌額
40番大師像台座
40番大師像台座
台座の中央「四拾番」、左「講中」、他にも文字がありそうですが読めません。
40番大師堂の札
40番大師堂の札
これの題(タイトル)は、「四国八十八ヶ所巡拝供養塔建立並に四十番大師堂移転事業費寄進者芳名」で、この大師堂が移転したのは判りますが、以前の場所は不明です。

石塔石仏群西側

鎌苅東祥寺石塔石仏群西側前列右
鎌苅東祥寺石塔石仏群西側前列右
西側の石塔石仏群のうち、前列右端です。この写真の一番右の石仏は、上「〓九夜」、右「文政十丁亥十一月吉日」、その左隣の石仏は、右「十九夜念佛講二世安樂〓」、左「享保六癸」、その左隣(写真中央)の石仏は、最上部の像は子安さんで、その下中央「奉讀誦〓部普門品供養」、その左隣の石仏は、右「明和二酉天十一月吉日」とあります。(享保6年=1721年、明和2年=1765年)
その隣(写真左端)の石塔は、
鎌苅東祥寺六十六部供養塔正面左面鎌苅東祥寺六十六部供養塔正面右面
鎌苅東祥寺六十六部供養塔
正面の中央「奉納大乘妙典六十六部日本廻國供養塔」、その左右上部「日月 清明」とあって、六十六部供養塔です。
続いて、後列右端です。
鎌苅東祥寺石塔石仏群西側後列右
鎌苅東祥寺石塔石仏群西側後列右
この写真の一番右の石仏は、右「奉造立十九夜観音」、左「元文三戊午十一月吉日 鎌苅村」、その左隣の石塔には「秩父西國坂東」とあり、その左隣(写真中央)の石仏は、右「十九夜待供養塔」、左「宝暦十二壬午天二月吉日」、その左隣の石塔は、推測も入れて、中央「奉納大乘妙典日本廻國供養塔」、その左右「宝暦九己〓稔 立冬吉旦行者〓〓」で、六十六部供養塔です。
(元文3年=1738年、宝暦12年=1762年)
鎌苅東祥寺二十三夜石仏供養塔
鎌苅東祥寺二十三夜石仏供養塔
こちらの石仏は、右「二十三夜講中」、左「明和二酉天十一月吉日」とあります。
鎌苅東祥寺石塔石仏群西側前列左
鎌苅東祥寺石塔石仏群西側前列左
この写真の右の石仏(如意輪観音菩薩)は、右上「延宝四年」から左下「〓辰〓月〓日」、左上「奉造立如輪観〓音像〓〓 〓安樂處」、観音像の左頬近くに「弥陀」など、左の石仏(地蔵菩薩)は、右「地藏尊寒念佛講中」、左「延享二乙〓天十一」とあります。(延宝4年=1676年、延享2年=1745年)
やっと、山門に着きます。

次回は、続・鎌苅の東祥寺(9番&40番)

次回は、東祥寺(9番&40番)の続きになります。