(令和6年3月16日その6)(同月18日追加その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、横戸町上横戸の明星寺(45番)&神明神社の次は、横戸町下横戸の大師堂(薬師堂)(46番)と、隣接する天王神社に参ります。
先に、前回の記事で書ききれなかった、3月18日追加撮影の上横戸神明神社北西丁字路にある石塔石仏群について記します。
横戸町神明神社北西の石塔石仏群
この中で、丁字路角にある石塔は馬頭観音です。その正面は馬の頭像の下に「馬頭觀世〓」、その左右「昭和五年 四月十八日建之」、右面「→下横戸〓成田街道至〓」、左面「→当区及内山ヲ經テ六方野ニ至ル ←柏井及習志野ニ至ル」で道標を兼ねています。(昭和5年=1930年)
他の石塔は庚申塔がほとんどです。
丁字路北の庚申塔は、正面「猿田彦命」、右面は「右… 東… 左… 」、左「明治二己巳五月吉日」、台座正面「當村中」。(明治2年=1869年) これも道標を兼ねていますが、行き先の平仮名がよう読めません。
その隣の庚申塔、右「奉造立青面金剛 二世安樂也 上横戸邑」、左「享保十八癸丑十一月三日」。(享保18年=1733年)
さらに隣は馬頭観音と庚申塔で、これらの写真の左端の庚申塔の正面「青面金剛王」、右面「右けみ川 左ちば 〓」、左面「寛政十二庚申十一月吉日」でこれも道標を兼ね、その右の馬頭観音は、正面の中央は種字に「馬頭觀世音」、右「大正六年五月十八日」、左「東ハ上横戸六方野至ル」、右面「西ハ柏井習志野至ル 北ハ井野新田佐倉至ル」、台座正面「運送連」でこれも兼道標です。(寛政12年=1800年、大正6年=1917年)
最後に南西にある庚申塔、右面の中央は種字に「奉造立青面金剛爲二世安樂」、左「享保五子十月十七日」、右「横戸村中〓〓」。
3月18日追加撮影分はここまでです。
(3月16日は、)明星寺から国道16号下の通路まで戻り、通路を出て左へ、そのまま舗装路を北に進みました。この舗装路は、どうやら用水路を暗渠化したようで、谷津田の西側(左岸)をくねくねとほぼ平坦に北へ走っています。
途中の水道道を横断して、目的地が近付いたところで、この日は工事のため、この写真のところで左折後右折して、左の道に移ることになりました。それからしばらく進んでの交差点、右折(東行)すると橋を渡って八千代市勝田ですが、左折すると目的地の下横戸公会堂です。
横戸町の下横戸公会堂
千葉寺十善講八十八ヶ所46番。(薬師堂)左にカーブする道の右手に石塔石仏群そして46番大師堂、奥に下横戸公会堂です。迅速測図では、この地に薬師堂が記されています。
46番大師堂
天満宮石祠
46番大師堂の右に天満宮の石祠と白梅です。
手水鉢
この写真の右側の面には女性の名前(平仮名)、左側の面には男性の名前(漢字)が多数刻まれています。
下横戸公会堂看板
それでは左隣の小さな天王神社にも参ります。
横戸町下横戸の天王神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
入口入って正面に鳥居、右に天王(牛頭天王)社由来の碑、鳥居の先に本殿の小さな神社です。大師堂はありません。鳥居の神額は「天王神社」。
天王(牛頭天王)社由来の碑
これに拠れば、ご祭神は素戔嗚命、仏家では牛頭天王とはっきり書いてある。創立は不詳も、安政6年(1859年)に再建、平成16年(2004年)に改築。
本殿
次回は、八千代市勝田の円福寺(47番)
次回は、八千代市勝田の円福寺に参ります。下横戸公会堂から東へ進みます。